2010年1月24日日曜日

アートセラピーワークの詳細のお知らせ


☆☆お知らせ☆☆

説明会&懇親会はパリのカフェで
3日連続ワークはヴェルサイユで開催することに決まりました。
午後のワークが14時~16時に変更になりました。

以下の通り詳細を追記します。



■アートセラピーワーク説明会&懇親会詳細

日時 : 2月23日(火)17時~

場所 : Saint-eustache教会付近のカフェで開催

集合場所 :メトロ4番Les Halles駅 St-eustache教会前の広場
http://www.saint-eustache.org/documents/planduquartier.gif

参加費 : 飲食代実費

参加方法: 人数を確認したいので、説明会参加の旨とお名前と電話番号を当日までにお知らせください。





■アートセラピー3日間集中ワーク詳細

日時:2月24日(水)、25日(木)、26日(金)の毎日 10時~12時 と 14時~16時
    ※お昼時間を2時間にしたので16時終了に予定が変更になりました。

場所: ERMITAGE

会場の写真









集合場所:開場に直接ご来場下さい。駐車場無料です。

パリからの来場方法:電車・バスをご利用の場合、モンパルナス駅からSNCFでヴェルサイユシャンティエ駅(12~20分)下車、駅を降りた信号を渡ってすぐのパン屋の前のバス停でバスB線(INRIAI方面)で Berthier 駅下車。もしくはRERC線でヴェルサイユリヴ・ゴーシュ下車、プレフェクチュール前のバス停からバスB線で同じくBerthier下車。バス停より徒歩数分。

こちらからも確認できます。


持ち物:パステル(おすすめはアルテミス)・ブロッククレヨン(おすすめはストックマー)
    お手玉2~3個・カメラ(記録用)・画板(今回はテーブルで代用も可)

定員:12名

参加費:210ユーロ

参加方法:ワーク参加ご希望の方は2月5日(金)までに210ユーロを小切手または現金で直接または郵送でお支払いください。お名前と電話番号を必ず添えて下さい。小切手の場合は郵送でも受け付けます。

MIXIでご覧の方は管理人のHOTTOKOまで、ブログでご覧の方はメールで
小切手郵送先を問い合わせてください。

※ワークの性格上、お支払い後の返金は一切できません。ワークの性格上、お休みされた場合や一部参加の場合でも返金はできませんのであらかじめご了承ください。

※領収書が必要な方は会費納入時に私がお渡しする仮の領収書をワーク当日にご持参下さい。

※昼食について
教室内での食事はできませんので、会場内の食堂もしくは付近の飲食店をご利用ください。開場の食堂をご利用されたい方は当日食券を受付で各自購入してください。
(お一人12.5€)


ワークは定員までまだ空きがあります。10名の参加者を理想としています。
今後も希望者の受付をいたしますのでお友達、お知り合いを是非お誘い下さい。
お問い合わせ、ご質問などはメールにてお気軽にどうぞ。


みなさまのご参加おまちしています。

2010年1月19日火曜日

内田樹の学力低下問題への批判

必要があって、内田樹の本、とくに構造主義についてを読んでいます。記事についていろいろ批判を書きましたがこの方の文章力には目をみはるものがあり、難解な構造主義とその流れを理解できたのもこの方の著書のおかげです。あまり盲目にならないように、いろいろなトピックで彼の考えをしろうとこの方のブログを読み返していて、意外にも「?」な記事があったので読んで感じたことを書きとめておきます。

以下、主にこの方のブログを読み返していて私が感じたこの方の言説に見られる日本の「甘えの構造」について個人的な教育問題への憂いを発信してます。

まず時間があるかたはここで記事を読むとよくわかります。

内田樹の研究室の記事創造的労働者の悲哀」


学力低下に大学の責任はない?

四月からの授業とあまりにレベル差があるので、入学前の三月から補習を始めている大学もある。「新入生の学力」が低いのはどう考えても「大学の責任」ではない。「だったらそんな学力の低い学生を大学に入れるな」というご意見もあろうかと思う。なるほど。だが、その「低い学力」の子どもたちが、それ以上の教育機会を与えられぬまま社会に送り出されることで、日本社会がどのような利益を得ることになるのか、まずそれをご説明願いたい。話はそのあとだ。

そう言われても、わたしは「だったら入れるな」と思います。なるほどの一言で終わっているのには少々驚きます。「学力の低い学生でもいれてくれる」とみんなが思っているうちは変わらないと思います。だれがそういう意識を作っているのかといったら、学力の低い学生でも入れてあげる大学側の姿勢もその理由の一つでしょう。だから大学にも責任はあります。

また、大学にたどりつくまでの間にしっかり勉強するシステムが機能していないことも理由でしょう。そこをしっかり機能させるように仕組みを変えていくのが根本の解決の方向です。内田さんは大学人だし、大学経営は今ものすごく大変なので、大学に矯正機能がしっかりあることを公言し若者でも大学に入れる意味をつくるのも仕事の一つなのかもしれませんが、もっと大きく考えれば大学によい学生がたくさんくるシステムづくりに貢献するほうが結局は教師の負担だって減るし、大学までしっかり勉強した人をよりよく教育して世に送り出すことにもなるでしょう。


何かを根本的に解決しようとするときには一回膿を出しきることは必要です。一時的に低学力の人が社会に送り込まれることでのなにかのマイナスが社会おこるのはある意味不可避なことです。

フランス人の思想家を師匠と仰いでいる方でも教育制度について語るときにまったく日本的な思考に終始しているのはちょっと残念に思いました。彼の理論では、悪循環が進行するだけじゃないかと思います。つまりたくさんの大学、少ない子どもという今後の人口構成から考えられる状況で学生かくとくのために大学はどんなにできない学生でも受け入れる→教師はどんどん仕事が増える→効果は???という構図です。

このなあなあな構図になることがわかっていながら「でもしょうがないよね」としているところに「甘え」を感じるのは私だけでしょうか?「甘えの構造」だったかと思いますが、何かの本でもこうした「日本の甘え」が言及されています。

例えばフランスでは幼稚園から落第制度があり、どうしようもないくらいできない人は上にあがれません。できるようになれば上に上がれる、ということなら、少なくとも「やればできるけれどやらなくてもなんとかなるから勉強しない」的な人は少しは腰を入れて勉強するんじゃないかと思いますがどうでしょう。


「大学の先生ができない学生のために 中、高校の補修から準備して提供してあげている、先生の仕事は前の2倍くらいに増えた」とあります。まったくご苦労なことです。けれど、それはむしろ大学改革でむやみやたらと大学を作ってしまった経緯のほうに批判の目を向けるべきで、実際そういった対策が学力向上に通じているわけではなく結局学力の低いまま卒業していく人だって結構いるはずです。大学の先生だってすべての低学力新入生を社会に送り出せる状態に育て上げられるわけじゃないでしょう。もともと大学はだれかによって育てられる場なのでしょうか?大学はある程度の知識をもとに何かを考えられるような人が自分で学んでいくところではないのでしょうか?


このようにして、「自分で考えなくても上の人がよい策を講じて手を差し伸べてくれるからなんとかなる」と考える受動的な人間が生み出されているとさえ思います。

それに、学力低下ばかりでてきますが根本的な問題なわけではなく、むしろ、学生の自主性の欠落、自己教育への欲望の欠如がなにより今の日本の教育の問題です。

こうした受身の姿勢でいても生きていけるシステムをつくってしまっていることに社会の構成員の一人ひとりが気が付かず、学力低下ばかりに目を向けていたずらなゆとり教育批判にとどまっていることを憂います。

資本主義社会はさすがに認めないと
大学生の学力低下の原因は、「日本の子どもたちの学力が低下することからは(少なくとも私は)利益が得られる」と考えている日本人が社会の相当数を占めているということにある。市場もメディアも親たちもそして子どもたち自身も、日本人の学力が下がることから自分だけは利益をかすめ取ることができると信じている。

これも少し言い換えが必要です。日本は資本主義の国です。企業は利益が目的で社会貢献は目的ではありません。そこではお金がすべてです。だから、故意に学力を下げて儲けようとしているわけでもなくただ、受験生のためをおもって売り出し日を考慮する必要がない、ということです。

ゲームソフト会社だったら「当社のゲームを息抜きのために使用して、もっと集中して受験勉強ができるということも考えられます。使い方までは責任おえません。感知しません。」でOKです。

資本主義すべてを敵にまわし革命を起こす覚悟なら上記のような企業倫理批判もありですが、すぐになんとかできるものではありません。この資本主義社会の中で「ゲーム機があっても自分でやらなければならないことを優先し、効果的にゲームを利用することができるような子ども」に育てるのはどうすべきかを考えるほうがあきらかに建設的で意味があるように思います。

問題のすり替えをしてはいけない
繰り返し言うように、別に私は誰かに学力低下の責めをおしつける気はない。子どもたちの学力低下について「誰の責任だ」と凄んでみせる資格のある人間は日本には一人もいない。私たちはこの点については全員同罪である。それゆえ、まず自分自身がそれと知らずにどのように「子どもたちの学力低下」に加担しているのか、その自己点検から始める他ないだろうと思う。「根本的な議論」はそこからしか始まらない。


最近は大衆向けにデフォルメされたTV番組などでも「ゆとり教育による学力低下」がテーマになるなど、学力低下はマスコミでもよく耳にするところです。しかし、日本の教育問題で一番考えるべき深刻な問題は「生きる力の欠如」「主体性の欠如や自分で考える力の低下」です。学力低下が問題だけれど、大学はそれについては責任ありません、と言っているのに、こうまとめるのは矛盾しています。教育問題の根本はただ数字的に学力が上がったという統計が出れば解決するわけでは決してありません。

また、教養人で大学教授でもあり「根本的な議論」をしようと言っている人でさえ、上記のとおり大学の責任逃れ、根本問題の誤認をしているのに気づいていないのですから、本当に私たちは気をつけなければなりません。


2010年1月17日日曜日

ハイチの被災者のために祈りを

13日(日本時間)に起きたハイチの地震で首都の4分の3が崩壊、ハイチのPKOは幹部3名の死亡が確認され、300名を超える国連職員が行方不明です。学校の脇には子どもの遺体が積み上げられたまま、支援の遅れに抗議するために地域の人々が一箇所にあつめた遺体の写真は目をそむけたくなるほど悲惨でした。

私はハイチ出身の男の子を一人知っていて、彼の家族がハイチに住んでいます。連絡を取るすべが無いそうで家族の無事を確認する方法すらないといった状況です。私は友人のために祈ります。

写真にうつる人々、町中に横たわっている遺体、その風景のどこかに私の友人の家族がいるかもしれません。涙がとまりません。

祈ることしかできませんが、祈ることならできます。みなさんどうかハイチの人々のために祈ってください。

2010年1月14日木曜日

前期の終盤

ここ最近こちらヴェルサイユでは毎日雪が降って最高気温氷点下というのがもはや普通になってきました。パリは全然雪をみないのに、家の付近は雪用ブーツではないと歩きづらいくらい雪が残っています。「パリは」といってもパリを中継して反対側の郊外にある大学に降り立つとまた雪景色だったりします。

さて、近頃は前期のセミナーの最終回が相次ぎ課題提出ラッシュです。今日は研究ノートを提出しました。30ページ。ソルドに後ろ髪引かれながらも外が寒いことが幸いして家にこもって地味な作業をすること連日。パソコン疲れによる肩こりがものすごいことになっております。ついに最終手段の磁気治療器のお世話になってしまいました。

そしてこの提出ラッシュ明けにいよいよ論文の分野と担当教授を決める大事な一日がやってきます。私はほぼ決まっているのであまりその点心配していませんが、担当教授になるであろう先生が今年で定年になるので、一年目の論文は一発でパスすることが望まれます。

日本は修士の2年目、つまり卒業の年に修士論文を提出するのが普通だそうですが、フランスでは、一年目に短め修論、二年目に本格的な長さの修論、と毎年論文を書くんです。日本のように修士は2年、という認識もありますが、大学入学資格のバカロレア後2年とか3年というような数え方(BAC+3が学士に相当)をするので修士一年目修了というなんだか中途半端な段階の学生でも、「BAC+4以上」が条件の求人に応募することができたりします。

2010年1月5日火曜日

アジアごはん 

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台湾×日本
クリスマスのすこし前、台湾人のクラスメイトと持ち寄りクリスマスランチをしました。

今回は私と友達の二人だけでしたがそれぞれの国の料理を持ち寄るルールで前回は5人でいろいろ持ち寄り、それがすごく楽しかったのでこの日第2回をしたのでした。

クリスマスのプレゼント交換も早々にすませお料理を並べます。料理は今回は特に打ち合わせしなかったので妙に気が合ってしまいどれもご飯に良く会う茶色い煮物系の料理ばかり。

そういうわけで写真写りはいまいちなのですが、味は抜群でした。彼女はえびとジャガイモの入った台湾風ハンバーグときゅうりのピクルスがはいったそぼろ煮込み(銀色のお鍋)を、私は豚角煮(手前の丸いお皿)を作りました。

四角いお皿の中にあるのは私が高校時代過ごした千葉県は銚子名物「ぬれ煎餅」、通称ぬれせんです。他の料理と一緒に食卓に並べる彼女に「これはお茶と一緒にたべるお菓子だよ」と伝えたのですが、彼女はこれが一番気に入ったようで、なんとご飯のおかずにしてぱくぱく食べていました。たしかに普通のお煎餅よりかなり味が濃いのですが、餅&米なのでちょっと面白かったです。そういえば前回はもち米のくだいたものお肉にふりかけた料理があったし、彼女には普通なのかもしれません。日本人も、関西のほうではお好み焼きをご飯のおかずにして食べるお好み焼き定食があるそうですし。

台湾料理って?
「台湾料理」というとあまり想像がつかなくて、きっと中華料理とそんなに違わないと思っていたのですが、大根餅や豚足の煮込みなど、やはり中国料理と思っていたものがじつは台湾料理だったりします。日本人が混乱しているくらいなのでかなり似ていますが「台湾料理」というカテゴリーがちゃんとあって、パリにもすくないながら数件台湾料理のレストランがあるそうです。ぜひ、今度一緒に行こうということになりました。醤油をよく使うので日本人にはなじみやすい味ですが、漢方薬のようなちょっと不思議な調味料や日本ではなじみのない食材の組み合わせ方をするのが興味深いです。お米の粉を肉にふりかけたり、酢漬けのきゅうりをひき肉に混ぜて煮込んだり。しかもとても美味しいです。逆に彼女も和食は変わっているけどどれも美味しい、と感じているようです。

マトリョーシカと異文化理解
私と彼女はフランス現地の学生・教授たちにはしょっちゅう「中国人」とひとくくりにされ、彼らにはほとんど区別ついていないであろう私たち日本人と台湾人ですが、当人同士ではれっきとした違いを感じてアジア間異文化交流を楽しんでいるというわけです。でも逆に私にはチュニジア人とアルジェリア人、モロッコ人の文化の違いがほとんどわかりません。私はタジンを使ったクスクスや野菜の蒸し料理など彼らの国の料理が好きなので、最近、国によってタジンを使った料理にも違いがあるらしいというのがようやくわかってきたくらいです。こういうことを私はとても面白いと思います。

異文化の人間を理解することは幾重にもかさなる入れ子をひとつひとつはずしていく作業に似ています。ロシアのマトリョーシカ人形のそれです。異文化で覆われたその人の核の部分はやはりアジア人同士のほうが「これはまだ殻だな」と外側をはずしやすいのです。これはこの人の育った国が後から覆った外側の「殻」だな、と「核」と「殻」の部分を区別する勘がすこしは働きます。

反対に異文化に育った人に対しては、まだ最後のマトリョーシカに到達していないのに、これが最後の人形だ、と思ってしまうように核の部分か外側に覆われた部分との区別がつきにくいのです。異文化の人とのコミュニケーションでは、表面の殻だけでその人を判断しようとしていないか、よく意識することが仲良くなる鍵だと思います。

フランス現地の学友の多くは「アジア人=中国人」というカテゴリー(殻)のところで理解がとまっているわけです。私たちのアフリカ人理解しかりです。

鳥の丸焼きやフォアグラを買いに出かけるフランス人たちを窓の下にながめるクリスマス・ランチ、妙なコントラストですがお箸でたのしむノエルランチもなかなかでした。


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2010年1月4日月曜日

ブリュッセル大学

秋のブリュッセル滞在の折にブリュッセル自由大学の教育学部を訪ねたときの写真です。

ブリュッセル自由大学の教育学部は「心理学&教育」と、心理学部の一部に組み込まれていて、しかも教師志望の人が通うといった感じでした(教育学部の事務室は閉まっていたので詳細はよくわからず)。サイトで調べたところでは、フランスの人文系学部よりも学術的というよりは職業教育的な内容になっている印象です。例えばパリ8大学では人材教育というテーマで研究をしたい場合には教育学でOKですが、ブリュッセル自由大学の教育部門はおもに心理学や教授法などの教員養成がメインなので社会学部の人材教育専攻がしっくりきそうな感じです。

フランスでは人文系学部の学生が全体の40パーセントと大きな部分を占めるのですが、文系の学生の就職が非常に困難なことは就職率をみても明らかで、大学の学位をとることの優位性や、職業教育の必要性はよく議論されるとことです。ブリュッセル自由大学はそうした就職難をさけるための対策が非常に意識されているという感じがしました。

他にはすべての授業について教授の用意したシラバスが大学構内の本屋で購入できるようになっているところに驚きました。「登録している学生のみが購入可能」と印刷されていたので恐る恐るレジで聞いてみたら「全然問題ないよ、買えるよ」と言われたので興味のある授業のシラバスを探していくつか購入しました。うちの大学では授業の際に配られるのかネット上のプラットフォームでダウンロードするかどちらかですが、その場で配られる時に、枚数が足りなくて学生で取り合いになることがあったりするし事前にもらていれば予習もしやすしので、シラバス購入という資料配布方法はなかなかよいシステムだと思いました。シラバスは授業によりますが、資料集もかねているためかなり分厚く、値段は5~10ユーロ程度のものが大半でした。







ベルギーの大学について

ベルギーは小さな国なので大学の数もそんなにありません。フランス語圏のめぼしい大学はたしか5つほどだったように思います。ブリュッセルはここ自由大学が唯一の総合大学です。ブリュッセル自由大学ではフランス語とオランダ語の授業があります。学費に関しては留学生とベルギー人で違いがあり、ベルギーの学生はフランスと大体同じくらい低金、アフリカや貧しい国からの移民にはそれより高いが他の国の留学生よりも低料金になっています。国のステイタスや学部によって金額が結構変わるんです。日本人だとたしか文系学部でベルギーの5倍程度だったように思います。フランスは日本人でもアメリカ人でもフランス人でも同じ値段なので、学費はずっと安くすみます。ただしトータルではそんなに変わらないかもしれません。ベルギーは学生用の貸し部屋がパリよりずっと安く借りられ、物価、とくに食費が少し低いです。レストランはフランスの8割くらいで食べられしかも、どこに行ってもものすごい量です。逆にパリは住居費がかなり高めです。しかもブリュッセルの平均よりもずっと狭い部屋に住むこと間違いなしです。私は奨学金がとれたらブリュッセル留学もいいなぁと思っています。


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2010年1月2日土曜日

シャンゼリゼ通りの魔法

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年末、雨でつやつやのシャンゼリゼ通り。


新婚旅行でパリを訪れた友人夫婦と観光してきました。


いくつものパリ関連のブログにこの時期かなりな高確率で見つけられるこの写真。


・・・・・まばゆい。


一体どれくらいの電気を消費しているのでしょう?


ここに来た人はこのまばゆさに陶酔されて、「さぞ浮かれた気分になるのだろうな~」

「やっぱり♪おおシャンゼリゼ~と自然に口ずさんでしまうんだろうな~」と思われるでしょう?


でも、私の勝手な分析では、実は意外とその逆にシャンゼリゼ通りには人を内省的にさせる特別な力があるんです。

といっても、パリブログやパリ在住の方のface bookををいくつか読んでいてなんとなく感じただけなのですが、何故かここを訪れた人はこのお決まりのイルミネーション&凱旋門の景色というド派手な写真をアップしながらも、文章はとてもある意味地味な、内省的な表現をしている人が多いんです。


例えば「自分の人生が充実しているな、と感じた」とか、「普段の自分の生活ってOOだなぁ」というもの。


それはやはりこの圧倒的な非現実感がなす技なのだと思います。


この不況の折、シャンゼリゼ通りに来て、「ここが自分の居場所、落ち着くわ~」と思う人はあまりいないでしょう。むしろ、非現実的な場所に来たと感じる人が多いはず。そしてふと、「なんで自分は今ここに居るのだろう・・・」考えてしまうんではないかと思います。


人は、現実とは違う場所にポッと立たされると無意識に現実の世界の自分について思いをめぐらし始めるものなのではないか、と。しかもシャンゼリゼ通りってこれ以上ないくらいにひたすら「歩く」ための通りですよね。歩くと頭がよく働くとはよく言われますが、ここに来た人はこの「内面を見つめる」・「思考がよく働く」というダブルの作用でついついしみじみしたことが書きたくなってしまうのではないか、と。


自分を見つめ直したいときには家に閉じこもってじっと考えるよりも冬のシャンゼリゼ通りをてくてく歩くほうが効果的とは面白いですよね!

かく言う私も「人生って・・・・」とシャンゼリゼ通りの魔法にしっかりかかってきましたよ。




「あ~ら、私はシャンゼリゼが一番しっくりくる場所よ、非日常ではないわ おほほ~」


という方にはまったく共感していただけない庶民派感覚なブログですが今年も応援どうぞよろしくおねがいします!



2010年1月1日金曜日

新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

今年は友人宅のパーティで年を越しました。

実はフランスで新年を迎えたのは今回初めてでした。

初日から生まれて初めての体験をできて感謝です。

パーテイは朝まで盛り上がり、数人の友人とは普段よりも

深いところまで話ができてよい一日でした。


今年もどうぞよろしくお願いします。





2010年1月1日

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