なんだか壮大なテーマですがフロムの愛に関する本からの波をもうすこし。
愛することができるかどうかは、ナルシシズムや母親や身内にたいする近親相姦的な固着から、どれくらい抜け出ているかによる。また外の世界や自分自身との関係において生産的な方向性を育てる能力が、どの程度身についているかにもよる。
この『脱出』とか『新たな誕生』、『覚醒』のプロセスを進んでくときに必要な資質を『信じること』とフロムは言っていて、信念については2個に分けて考えないといけないそうなんです。
『理にかなった信念』と『根拠の無い信念』の二つなんですが、この分け方にぐっときてしまいました。
フロム的には『根拠の無い信念』とは
道理にかなわぬ権威への服従にもとづいた、(ある人物や理念への)信仰
のこと。それに対して『理にかなった信念』というのは
自分自身の思考や感情の経験にもとづいた確信
です。
例えば、
私達日本人はかなり偏った人工の世論に踊らされていることを感じますが、これは全く最初の『根拠の無い信念』に当てはまります。何の利益があるか知りませんが一人ひとりの信念や経験にもとづく価値観を亡き者にしようとします。
痛いことに『根拠の無い信念』のくせにに妙に幅を利かしていて無駄に偉そうなのが特徴。
自分が一番根拠があると思いこまないと生きていられない。でも、なぜ根拠があるのか聞いてみれば根拠の無いことがわかります。彼らはいつも言います。
『だってそうだから』。
.....
ダサい。
そんな理由になっていない理由で人を動かそうとする傲慢さに驚愕します。
精神的に未熟。
でもなんて多くの社会現象がこの『だってそうだから』で動いていることでしょう。愕然。
フロムは、既存の権威にしがみつくしかできない虚しい人の偉ぶった言葉などは無視して自分の信じるものを信じなさい、それが愛する一歩だよ。と言います。
根拠の無い信念を信じている人ほどあなたを『理にかなってない』と責めても、何が『理にかなう』ことなのかは自分の思考や感情に基づいた確信からしかないのだから、他人にわかってたまるもんか、と吹き飛ばせばいいんです。そうして自分を一歩先に進めるんです。
今の日本の社会は『だってそうだから』、で一人だけズルをしないように、抜け駆けしないように監視し合い、ちょっとのミスがあればこれこそ正義といわんばかりにボコボコにするっていうことをやっていますね。これは反面教師にしないといけない。311のような愛に気づかせてくれる出来事があったあとでも全体としてはまだまだ愛には遠い。これではもっとすごい試練がきちゃうかも。
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