地下鉄で私の前の席に2歳半か3歳くらいの女の子が座りました。電車はかなり込んでいて、お母さんは座れず、少しはなれたところから子どもたちを見ていました。
私が先に降りるまで約15分間のことを書いてみます。
最初の2駅くらいは静かにすわっている女の子。おにいちゃんに「ちゃんとすわれているね」、といわれて得意になっている。
3駅目、
退屈になってきたのかきょろきょろあたりを見回したり、お母さんに投げキッスしたりする女の子。
電車が駅に着くと「ついた~!」といってみる。すかさず「NON。まだよ。」とお母さん。
4駅目
女の子が咳をすると、「手を口に当てなさい。」とお母さん。
電車が駅に着くとやはり「ついた~!」と女の子。「ちがう。まだついてないの。」とお母さん。
5駅目
もぞもぞうごいて、知らぬ間にとなりのおじさんのコートの端を握っている女の子。「となりの男の人にかかっているてをはなしなさい!」とお母さん。そして駅につくとまた「ついた~。」と女の子「まだよ。」とお母さん。
6駅目
もぞもぞ体をくねらす女の子に「ちゃんと座ってなさい」とお母さん。
ここまでが観察したシーンです。
その後も電車が止まるたびに「ついた~。」という女の子にそっけない返事のお母さん。そのうちぐずりだすだろうなあと思いながら私は電車を降りました。
以下このシーンを考察してみます。
たくさんの人が乗っている電車のなかで子どもが騒ぐと迷惑になる、という考えはどこの国でも普通はの感覚としてあるように思います。ものすごくうるさく騒ぐ子どもとそれを全く注意しないお母さんに遭遇したときは、「迷惑ですよ。」といいたいくらいに不快な思いをしたことだってあります。その点では、このお母さんは常識のある、マナーを守ろうとするお母さんだと思います。しかしながら、お気づきのとおり、女の子の集中力は2駅目で完全に切れています。「ついた~。」と毎駅言っていることから、座席に静かに座っているのは退屈で、はやく到着してほしいという思いがみてとれます。お母さんの「まだよ。」という言葉には」「とにかく静かにしていなさい。」というメッセージがこめられていることを感じます。でも子どもにとってはじっとしていることはものすごく大変なことです。2歳半~3歳の子の限界はやはり2駅くらいなものでしょう。
わたしだったら、やむなく子どもと混雑した電車にのらなくてはならない状況自体を避けようと努力しますが、こうなってしまった場合、なにか興味をもちそうなものを女の子に渡してあげることを考えると思います。もし、おもちゃや絵本を持ち合わせていなければ、ハンカチをお人形の形にして渡してあげたり、その場でお話をつくって聞かせたり、なにも無いなりに色々な工夫で子どもが飽きない工夫はできると思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿