2008年10月23日木曜日

追記(主観と客観)



絵画治療としてにじみ絵を描くとき、私は、自分が自分の外の世界から受けた影響を観察することと同時に、「感情を体験し直している」と感じます。これをここでは主観的な行為ととらえています。自分の感情から離れて眺めること、自分の外側の世界が自分の内側に与えた変化(感情)を感じること、どちらも現在の自分を知り、未来に生かすための大事な振り返りだと思っています。

「日常の小さな一つ一つの事々によって自分がどのように変化したか、感じたか、と自分に問う作業」を不機嫌な気分になったときの例にあてはめて具体的にするならば「自分がどんな風に、どのくらい不機嫌になったかを後から意識的に体験し直すこと」です。

たとえば、周囲に過度に影響されて自分の気持ちがよくわからなくなってしまった人、トラウマを乗り越えようと苦しんでいる人は、まず自分の感情を「感じる」ことがまず重要になるのではと考えます。描くことは自分の感情に気づくと同時に、感情を少しずつ放出させる効果があるとおもいます。

2008年10月22日水曜日

主観と客観


今日はアトリエにいってきました。先月はイレギュラーな予定がかさなって、2回しかいけませんでした。今日は先月から3回にわたり描きつづけていた虹の絵が終わって、次の絵に進みました。

このアトリエでにじみ絵を描くということはつまり「主観と客観の目を養うこと」

と先生がいつも言っているのですが、二つの視点をもって描くことの大切さを最近とくに思っています。

色を体験する「私」と向き合うこと、時々筆を置いて、少し絵から離れて観察すること。意識しないで描いていると、そのどちらかに傾きがちです。

「感じている自分」とそれを「外側から眺める自分」を意識すること

それは「思考を意識する」ということと同じことではないかと思います。

たとえば、不機嫌な気分になったとき、不機嫌な自分を外から眺める、という作業は絵を遠くから見ること同じ「客観」の行為で、日常の小さな一つ一つの事々によって自分がどのように変化したか、感じたか、と自分に問う作業は紙を前に筆を動かして自分の内面と向き合うのと同じで「主観」の行為といえます。

つまり、絵を描くことによって「主観」と「客観」が鍛えられた人は、それ以外のすべてのときも、このバランスを意識して過ごすことができるように鍛えられたということができる。

「癒し」はこうした作業の継続により、無意識のうちに自分のなかからうまれるのではないでしょうか。

2008年10月13日月曜日

モンマルトルのワイン収穫祭

10月 2週目の週末 パリの北部、モンマルトルでワイン収穫祭がありました。
モンマルトルにはパリで唯一のワイン畑があり、約1000本のワインがつくられているそうです。
それで、パリのワイン祭りはモンマルトルで行われます。

ワインの試飲、コンサート、パレードなどが行われる、と聞いていました。

去年行き忘れてしまって、今年はぜひ、と思っていたので、とりあえず前日にサイトを探しました。

毎年テーマがあるらしく、ことしは「ワインとシネマ」ということで、土曜日は夜9時からスタジオ28というモンマルトルの映画館で、モンマルトルにちなんだ映画の上映が予定されていました。

映画は時間が遅いのであきらめて、とりあえず行けばなにかあるだろう、ということで友人をさそって、とにかくサクレクール寺院をめざしました。

モンマルトルは女の子好みの雑貨やさん、洋服店、かわいらしいカフェがならぶ一帯があって、散歩がてらのんびり散策し、当初の予定を忘れてしまいそうなくらいでした。

到着してみると、寺院の周りにたくさんのテントが並んでいました。日本のビッグサイトのようなところで行われる農業見本市の野外版といった感じで、フランスのさまざまな地方のワインだったり、サラミだったり、いろいろな農産物を味見しながら購入できるようになっていました。サクレクールは高台にあるので、パリを一望しながらワインやシャンパンをグラスで飲めます。室内よりも開放感があってよかったです。

普段、パリは電車の乗り換えをするために通り過ぎるだけなので、久しぶりにパリらしい町でゆっくり過ごすことができていい休日になりました。天気もよく気温も高かったこと、なにより歩きながらのシャンパンがよい気分にさせてくれたのはいうまでもありません。

2008年10月12日日曜日

パリ大学の授業 3


1、2と続いて、自分のための記録として大学の授業の印象と評価方法をまとめておくことにしました。


今週の授業  つづき

水曜日 

「乳幼児心理学」 

      
ブラジル、ポーランド、フランスで幼児教育、教育心理学に携わってきた女性の教授
授業はアンリ・ワロン、ピアジェなどの心理学の理論


評価は授業のはじめからおわりまで、継続して、毎回事前の質問に対して作成するポートフォリオ
次の授業は休講。かわりに、公園や子どものいる場所で一時間の行動観察を記録、できれば考察も加える。

授業内容は私がこれまでやってたこと、いつもやっていることとほとんど同じことなので、それで単位がもらえるなんて楽しすぎる。ずっとかかわってきた教育学にしてよかった、と心から思った。ほかの学生の子どもの考察の仕方、教育の考え方も大変興味深い。先生は心理学に通じているだけあって、ものすごく配慮の行き届いた親切な先生。それぞれ自己紹介もして、スイス人でアフリカに慈善事業にかかわっていた学生、フランスでクレッシュコレクティブで働いていた学生、アルジェリアの小学校でおけいこごとのような活動をしていた学生など、教育関連の職業についていた学生も多く、年齢もさまざま。

この大学しかしらないので、「フランスは・・・」とくくってしまうのは早すぎるとは思うけれど、本当に学びたい人が学びにきている感じがする、と日本人のパリ大留学生の友人と意見が一致した。




「美術・思想・教育」

身振り手振り、声の抑揚がものすごく大きく、髪の毛爆発のフランスの美術家っぽい強烈な先生。
ミュージカルと哲学が専門らしい。

授業の内容をプリントとプロジェクターで説明してくれたが、これが本当に幅が広い。
日本で美術と哲学をひとつのコマで教える授業というのはあまり普通ではないと思う。

学生はこれまで受けた授業で一番人数が多く、ほかの学部からの出席も多かった。
外国人に対する配慮などはまったくなさそう。私にはとっつきにくい感じの先生だが、人気の授業らしい。日本では哲学は実際社会では役に立たない、と評価の低い学問分野な印象があるが、音楽と哲学とアートに造詣が深いと、というのはフランスでは教養の高い人、と考えられ、一目置かれる。



今回は20世紀はじめの哲学家のはなしが中心だった。
先生の講義中心のひたすら聞くスタイルの授業。

評価はレポート2つと小テスト2回。


「社会学・教育」

顔が、若くして亡くなった人気ニュースキャスターの逸見さんに似ているこざっぱりした清潔感のある知的な先生。使う言葉がむずかしいのと、ものすごく早口なのに加えて、内容がフランスの学術組織についてだったりして、異文化の外国人学生の私にはかなり理解が難しくくて、授業中電子辞書が手放せなかった。

先生は私の電子辞書をパソコンと思っていたいらしく授業のあと、「君は全部そのパソコンに打ち込んでたみだいだね。」ときかれた。(実際は次から次にでてくるわからない単語を必死に探すので精一杯だった。)私の語学のハンデがわかると、「わからなかったら、何でも質問して。」といってくれた。

単位は関連分野の中で自分の関心事についてのレポートを提出すること、出席が主に評価される。

(上の写真は大学でのランチ。コマとコマの間に休み時間がないので、サンドイッチがのどに詰まらないように急いでたべないといけない。きれいな学食もあるが時間がかかるので、パニーニ、サラダ、サンドイッチなどの軽食で済ませる学生が多いようす。)

2008年10月11日土曜日

パリ大学の授業 2

今週の授業

月曜日 フランス語 oral and ecrit
アンニュイな先生が大変印象的。フランスをかじったひとならば、以下の様子でなんとなく想像していただけるかと思うが、なんというか、フランス、とくにパリを凝縮したような人である。

「じゃあ、そうねぇ、フランスに関することをなんでもいいから話して。ポジティブな話にしてね。フランスで生きるのは簡単じゃないってことはしってるから。」とけだるそうにいう先生の話しぶりにわりと引き気味の外国人学生たち。(外国人学生のためのフランス語の授業なので、フランスにきて数日の学生もいて、ちょっとショッキングだったようだ。私はその中ではわりと年上のほうで、 フランスにも一年以上くらしていて、という状況だったこともあり、とにかくこの先生のかもしだす雰囲気のフランスっぽさが興味深く、面白く思ってしかたな かった。)

アメリカ人の学生が週末にあったnuit blancheというイベントに参加しての印象を沈黙を破って話しはじめた。すると先生、「ほかの人はどう思う?私は、あんまり好きじゃないわ。今朝メトロの13番線のホームに、たくさんセキュリティの人がいたでしょ?nuit blanche の若者たちが、押したか押されたかで、線路に落ちて、地下鉄にひき殺されたのよ。」とコメント。先生が一番ネガティブな発言であった。
ちなみに話ぶりはなんとなく日本の大御所女優を連想させるものがある。たとえば桃井かおりさんとか。

それぞれの自己紹介つづいて、授業の説明。この授業では毎回一人が冒頭にプレゼンテーションをして、それについて話し合う。グループで、テーマをきめて、レポートを作成。セメストルの最後にグループごとの発表をする。それぞれの学生の話のなかの文法の間違いを直す。

今回も後半はグループに分かれて文章をつくったが、先生から指示されたテーマは「フランスに来て驚いたこと」を「詩」にする、という、これまた大変フランス的なものだった。テーマを指示したあと、先生の姿が見えなくて、どこいったのかと思っていたら、戻ってきた先生の机の上にタバコと財布が。机の向かいにもうひとつ椅子を置いて足をのせ、椅子の背によりかかって、つねにどこかシリアスな雰囲気をかもしだす先生。授業よりも、先生のキャラクターに圧倒されどおしの初授業となった。


口述発表については、
「チーズやワインがおいしい、フランスっていいね、というのは絶対やめて。そういうのはだめ。」といっていた。

この授業ではなにより彼女好みのテーマを選べるかどうかが大きな分かれ目となりそうだ。
彼女の好きなことを逃さずメモするため、次の授業も彼女の発言に大注目だ。

2008年10月6日月曜日

子どもと遊びについて



パリ郊外の仏人家庭宅で2人の子どもを見るようになって一ヶ月半がたちました。

シッターという立場なので、いろいろな制約はあるものの、
子どもとの心の距離をちぢめるべく、一緒に思い切り遊ぶ時間はできるだけ毎日確保するようにしていました。

当初、子どもたちだけで遊ぶのが当たり前(フランスの生活は、子どもは子ども、大人は大人、と生活スペースや食事の時間、活動、などをきっちり分けすス タイルが普通なので、保護者はこどもとともに遊ぶことはあまり多くない。幼稚園でも先生は子どもの遊び、けんかにはほとんど介入しないように見える。)だった2 人ですが、今は大好きな「警察ごっこ」と「かくれんぼ」は必ず私を誘って、一緒に遊びたがるようになりました。

ときには憤慨したくなるようなものすごいいたずらな子どもたちですが、遊びを通してすこしはお互いの人間性に触れ合うことができ、心の距離が近づいた、ととらえてもはずれではないかも。と勝手にポジティブに受け止めています。


私がこどもと一緒に遊ぶときは、

子どもと同じ目線で、自分も子どもになったようなつもりで遊ぶこと。

遊びの楽しさを子どもと心から共有すること。もしくは徹底してそのように振舞うこと。

楽しく遊びが続くように支え、遊びを方向づけること。


を特に意識していると思います。

そうするのは、

2つの「」だけで子どもという生き物を定義してしまうのはざっくりしすぎでありますが、

子どもは

「生活者」



「遊びをとおして世界を学ぶ者」


というイメージを、「子ども」を考えるとき、いつも胸においているからです。

それから、「子どもの遊び」については、大人が余暇をつかって好きなことをする、という意味合いの「遊び」とは全く質のことなるもので、

子どもは遊びを通して世界を学ぶ

生活のすべてが子どもにとって遊びの対象


という風に考えています。といっても、これは、私が勝手にそう考えている、というからではなく、児童教育を学ぶ人が子どもについて学ぶときの大変基本的な事柄です。学校で学び、頭で理解し、その後、実際に子どもと生活してみて、やはりそうだ、と確信をもって言えることです。


子どもが遊んでいるのを見るとき、このような視点で観察してみると、子どもが生活のありとあらゆるできごとから、たえず何か心を動かされる事物を見つけ、それが何なのかを知ろうとする、大変学ぶ意欲の旺盛なエネルギッシュな存在であることが見えてきます。

2008年10月5日日曜日

花のある生活

最近、毎週日曜の市場で花を買うのが愉しみになっています。フランスのお店は日曜はお休みなので、市場好きのわたしにとっては日曜日の大きな楽しみの一つです。予定が無い日は午前中は市場で買い物が日課です。

新鮮な野菜やお魚を売る市場は活気に溢れていて、市場の雰囲気を楽しむのも目的。
迫力ある売り場のおじさんたちとのコミュニケーションも市場ならではです。

よく利用する市場の花屋さんの様子。

咲ききってしまっているものが多いからか、カラフルな花の小さなブーケがなんとひとつ3ユーロ(500円くらい)で買えます。日本は花束は特別な日に買う ものという雰囲気がありますが、フランスではもっと気軽に切り花を楽しんでいます。特別でない毎日を楽しむのに、これはものすごくいい効果があります。植 物のエネルギーの力はすごいです。花を買うという行為自体が心のゆとりにつながっています。





それぞれの花束とともにあった生活を思い出しながら、ここ一ヶ月の花束の写真をみてみます。


ひまわりのパワーはすごいです。9月を過ぎて太陽がどんどん少なくなってきて、すがるようにひまわりを飾り、太陽の力をずいぶんもらいました。ホメオパシーみたいな効果があるとおもいます。



先週の花束。真っ赤なバラも素敵ですが、私にはちょっときつくて、こういううすいピンク八重咲きのバラの華やかだけれどやさしそうなふんわりした雰囲気が好きです。心に共鳴するものを感じてつい見つめてしまいます。買ったときにすでに花が終わりかけていたのですぐに散ってしまったけれど、売り子のおねえさんが一束おまけしてくれました。




今日は3種類好きな花を選んで花束にしてもらいました。きりっとしていてほかの緑によく合う青いアザミと飾らない緑、清楚な白の組み合わせは大好きです。今週はこの花束とどんな毎日を送ることになるのでしょうか。

パリ大学の授業 1


今週土曜日に大学の最初の授業が始まった。(写真はほかの方のブログからお借りしました。)


私の通うパリ8大学はパリの北部郊外サン・ドニにある総合大学。教育学部は3年生だけで、社会学の3年目が教育学部という位置づけになっている。私は日本の児童教育学の単位が認められたので、いきなり3年生だ。日本の大学3・4年生にあたり、最短一年で学士に相当する学位が認められる。

私がこれまで何度か学校に足を運んで思うには、ものすごくリベラルな雰囲気と立派な図書館が特徴だ。サン・ドニというと、移民が多くすんでいる貧しい地区で、治安が大変悪い地域という印象があるが、駅をおりてすぐに大学があり、これまで怖い思いをしたことは無い。

土曜2回の大学での講義と平日の夜6回のネット上での討論会に出席することで単位がもらえる土曜授業が今年だか去年からだか始まったらしく、そのひとつが今週の土曜から始まったというわけ。

フランスの大学はどんな感じなのか、好奇心と不安ででいっぱいだったけれど、
どの先生もとても感じがよくて大変気さくだった。午前中のオリエンテーションの時間は
秘書の先生が単位の取り方、計算の仕方をしおりにそってわかりやすく説明、その後、基礎講座の各分野の教授が授業の内容について話してくれた。

フランスの学生は引っ込んだ性格の人や、恥ずかしがりやの人がいないのか、話を聞きながらどんな小さなことでもわからないことはどんどん質問する。先生もジョークを交えて答えたりして偉そうに振舞うことが全くないところがいい。

2008年10月2日木曜日

シャルトルの大聖堂と町並み

この週末はシャルトルへいってきました。町の入り口はこんな感じ。壊された城壁、橋の一部が残されています。


木でしましまに見えるお家は16世紀初期の建物です。これはクレープ屋さん。窓が淡い色のステンドグラスになっていて実にかわいい。




城壁のように町を取り囲む川。
シャルトルの大聖堂の外観。近くからだと大きすぎて写真に写りきりません。
お天気はよく、テラスでお茶をする人がうれしそうです。
パン屋さんの看板。
ゴシック建築の大聖堂とは対照的に意外とかわいらしい町並み。観光用のルートの一部を歩きました。
大聖堂付近は観光客を意識したようなおもちゃやさんやアンティークショップがあって、ちょっとしたショッピングも楽しめます。

大聖堂のステンドグラスに感動して外へでると、ステンドグラスを取り扱うショップが観光客をまっています。レジの前の小さなステンドグラスのチャームはひとつ31ユーロ。


  大聖堂の近くの市場で蚤の市があったので覗いてきました。パリの蚤の市よりもいいものがお得でした。いいものといっても、古いぬいぐるみ、エッフェル塔、アンティークの食器などが好きな人にとってのいいものです。私はフランスらしいお土産ならこういうところで見つけるのがいちばんだと思っていますこげ茶のティーポットを購入。うちの紅茶は基本的にティーバッグなので主に緑茶や番茶などの日本茶に使います。


小さい町なので1時間ほどで観光は終了しました。車で片道1時間半くらいでした。子どもといって楽しめる度数は65点くらいです。また、この近くにはピカシェットの家があります。いつか行ってみたいです。


パリから車で行く場合には帰りは高速に乗らないほうが早く帰れそうです。

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