今日はアトリエにいってきました。先月はイレギュラーな予定がかさなって、2回しかいけませんでした。今日は先月から3回にわたり描きつづけていた虹の絵が終わって、次の絵に進みました。
このアトリエでにじみ絵を描くということはつまり「主観と客観の目を養うこと」
と先生がいつも言っているのですが、二つの視点をもって描くことの大切さを最近とくに思っています。
色を体験する「私」と向き合うこと、時々筆を置いて、少し絵から離れて観察すること。意識しないで描いていると、そのどちらかに傾きがちです。
「感じている自分」とそれを「外側から眺める自分」を意識すること
それは「思考を意識する」ということと同じことではないかと思います。
たとえば、不機嫌な気分になったとき、不機嫌な自分を外から眺める、という作業は絵を遠くから見ること同じ「客観」の行為で、日常の小さな一つ一つの事々によって自分がどのように変化したか、感じたか、と自分に問う作業は紙を前に筆を動かして自分の内面と向き合うのと同じで「主観」の行為といえます。
つまり、絵を描くことによって「主観」と「客観」が鍛えられた人は、それ以外のすべてのときも、このバランスを意識して過ごすことができるように鍛えられたということができる。
「癒し」はこうした作業の継続により、無意識のうちに自分のなかからうまれるのではないでしょうか。
4 件のコメント:
不機嫌になったとき、不機嫌な自分を外から眺めるのも、日常の一つ一つのことによって自分がどう変化したか自分に向き合うのも、いずれも「客観的」な行為だと思います。
何かを学ぶとき大切なのは振り返ることで、その振り返るという行為はポジティブなことでもネガティブなことでも常に客観的なものだと思います。。
junko さん
コメントどうもありがとうございました。
お書きくださった通り、振り返る行為はとても大切だと思います。主観に関しては関係するエントリーを追記としてあげましたので、ご参照いただければ幸いです。
「自分に向き合う」というのは外から自分を眺めることだと私は解釈していました。
でもmegさんがおっしゃっているのは一度持った感情をもう一度持ってみる?(なんか言葉が足りずすみません)、絵を描くこと、もしくは怒りや悲しみ、喜びなどの感情を持った時の状況を思い起こしてもう一度それをやってみる、演技してみる、というのが「自分に向き合う」という言葉で表されていたんですよね?
絵を見る、描くという行為をそれぞれ客観、主観と表現していたんだとようやくわかりました。(簡単に言うとそういうことですよね??)
お返事がおそくなってすみません。お書きくださったとおり、絵を描くことはわたしにとっては、感情をもう一度体験するひとつの手段になっていると感じている、ということをここでは書きたかったのでした。絵にすることは、感情を外側にだす効果があって、外に出した分、新しい何かを取り入れられるようになるのではないかとも思いました。
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