2008年10月6日月曜日

子どもと遊びについて



パリ郊外の仏人家庭宅で2人の子どもを見るようになって一ヶ月半がたちました。

シッターという立場なので、いろいろな制約はあるものの、
子どもとの心の距離をちぢめるべく、一緒に思い切り遊ぶ時間はできるだけ毎日確保するようにしていました。

当初、子どもたちだけで遊ぶのが当たり前(フランスの生活は、子どもは子ども、大人は大人、と生活スペースや食事の時間、活動、などをきっちり分けすス タイルが普通なので、保護者はこどもとともに遊ぶことはあまり多くない。幼稚園でも先生は子どもの遊び、けんかにはほとんど介入しないように見える。)だった2 人ですが、今は大好きな「警察ごっこ」と「かくれんぼ」は必ず私を誘って、一緒に遊びたがるようになりました。

ときには憤慨したくなるようなものすごいいたずらな子どもたちですが、遊びを通してすこしはお互いの人間性に触れ合うことができ、心の距離が近づいた、ととらえてもはずれではないかも。と勝手にポジティブに受け止めています。


私がこどもと一緒に遊ぶときは、

子どもと同じ目線で、自分も子どもになったようなつもりで遊ぶこと。

遊びの楽しさを子どもと心から共有すること。もしくは徹底してそのように振舞うこと。

楽しく遊びが続くように支え、遊びを方向づけること。


を特に意識していると思います。

そうするのは、

2つの「」だけで子どもという生き物を定義してしまうのはざっくりしすぎでありますが、

子どもは

「生活者」



「遊びをとおして世界を学ぶ者」


というイメージを、「子ども」を考えるとき、いつも胸においているからです。

それから、「子どもの遊び」については、大人が余暇をつかって好きなことをする、という意味合いの「遊び」とは全く質のことなるもので、

子どもは遊びを通して世界を学ぶ

生活のすべてが子どもにとって遊びの対象


という風に考えています。といっても、これは、私が勝手にそう考えている、というからではなく、児童教育を学ぶ人が子どもについて学ぶときの大変基本的な事柄です。学校で学び、頭で理解し、その後、実際に子どもと生活してみて、やはりそうだ、と確信をもって言えることです。


子どもが遊んでいるのを見るとき、このような視点で観察してみると、子どもが生活のありとあらゆるできごとから、たえず何か心を動かされる事物を見つけ、それが何なのかを知ろうとする、大変学ぶ意欲の旺盛なエネルギッシュな存在であることが見えてきます。

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