2010年12月22日水曜日

交換と貨幣の価値

フランすはバカンスドゥノエルという休暇に突入しました。今年のフランスはどうかしてしまったように雪雪雪!
こんな冬は23年ぶりとか。

さて、今日は休暇前に書いたエントリ-です。最近のフランス小学生の流行ものについて。
写真に協力してくれたこどもたちは今頃雪だるまをつくっているかな?


フランスの小学生に爆発的な人気の形状記憶の輪ゴムブレスレット。熱狂的な人気。私が思うに人気の理由は以下のとおり。

1 安価
2 持ち運び便利 ポケモンカードよりさらに小さいのに交換、収集できる。
3 友達と交換、自慢しあうなどコミュニケーションができる

ああ、お母さんと先生の困り顔が目に浮かびます。



宿題そっちのけです。


こんな風にさりげなくじゃらじゃらさせるのが子どもたちのステイタス。

人間はお金を交換する。それはお金に価値があるからではなくて、交換するから価値が生まれる。というのが民族学のマリノフスキーのお言葉。贈与に発生した不均衡に均衡をとろうとすることで贈与は続いていきます。

なんでうちの子はこんなただの輪ゴムを交換することに燃えてるのかしら?という母親の問いに民族学の巨匠は、だって交換するのが人間だからじゃん。と言っているわけです。


レヴィ ストロースは家族の構造も女の交換をつかって説明しています。交換があるとき、贈り物を受け取った側には借りができ、贈った側には貸しができます。この不均衡を取り戻すかのように交換は続いていきます。

そう考えると子どもたちの輪ゴムのブレスレットの交換の流行もとても面白いです。

この交換が大きな意味をもつようになったのは、やはりそれが価値があるものだからではなく、交換したから交換する価値があるものになったのでしょう。むしろあまり価値がない輪ゴムだから交換が始まりやすかったのではと思います。私も小学生くらいのときにキャラクターシールやにおい玉、かわいい便箋を1つずつ交換しては喜んでいたっけ。

お金だって、それ自体はただの紙切れや金属辺でしかないけれど、交換することで価値があるかのように私たちは錯覚しているから同じことですね。


学校というのは子どもにとって1つの社会。大人にはただの輪ゴムでも子どもにはいまや大人にとっての貨幣と同じくらい価値があることは疑いありません。この輪ゴムを1つしかもっていない子どもがたくさん持っている子どもをみる眼差しは例えば労働階級市民がブルジョワジーの生活を仰ぎ見るのと多分ほとんど大差ないと思います。この交換ブームがはじまるのがいつの時代も小学生低学年くらいなのも興味深いことです。

先日の国際会議のたくさんのプレゼンの中にも消費する子どもというテーマがあったのを思い出しました。
クラスメイトがよく知っているイギリスの先生らしいので今度本を貸してもらおうかな。

2010年12月19日日曜日

それはただの始まりでしかない 映画

先日観たい映画としてメモしていた 

Ce n'est qu'un début (それはただの始まりでしかない。という意味)




とある公立幼稚園で愛や死などをテーマに哲学のアトリエを子どもたちに向けて2年間行った記録をまとめたドキュメンタリー映画。

もともととても小さく上映されていて、観客は少なかったです。でも幼稚園や保育園の先生っぽい人がちらほらいました。

心理学や哲学の先生が子どもたちに難しい講義をするわけではなくて、そこの幼稚園の先生が日本でいうお集まりの時間に朝の決まった時間に子どもたちに哲学って何?愛って何?と質問するスタイルで、先生は子どもたちの言葉をひたすら引き出す役目に徹していました。

最初は全然質問と違う答えがかえってきたり、まったく反応がなかったりするわけですが、回を重ねるうちに、テーマからぶれずに長い時間意見をだしあったり、子ども同士で意見の言い合いになったりして興味深かったですよ。

■たとえば愛について。 (丸々台詞を書き取っているわけではないです)

先生  愛って何?

子ども 私は恋人がいるの。

先生 恋人って?どういうこと?

子ども 口と口でキスするの!あと手をつなぐの。

子ども お父さんとお母さんは愛してるから、結婚してる。 でもときどき喧嘩してもうこんなんなら離婚しよう!って言うときもある。でもまた仲良しになる。

男の子 女と女は結婚できないんだよ

先生 じゃあ女の子と女の子は愛し合うことができないのかしら?

女の子 私は妹がいて結婚するのはできないけど、でも妹のことを愛してるの。

中には

■ シェフってなに? 権力について

先生 みなさんはニコラ サルコジ をしっていますか?

子ども1 うん、しってる! うちにいる。

子ども2 うん、しってる! うちのお父さんとおんなじ会社で働いてる

子ども3 刑務所にいる


■ インテリジェンスってなに? 

女の子 うちのお母さんはインテリジェントよ。いっつもヌテラは冷蔵庫に入れちゃダメ!って言ってる。

など中にはぷぷっと笑ってしまう反応もあって、観客みんなで大笑いした場面などもありました。

子どもたちの言葉はいつでもとても具体的ですね。子どもの言葉は生活体験そのものです。子どもが活者といわれるゆえんです。小さな子どもは大人のように抽象的な概念をつかって話をすることができませんが、大人と同じように感じ、自分の体験と照らして考えることができることができます。あまり子どもの言葉を尊重しないように見えるフランスの社会で、こういうフィルムを大人たちはどういう風に見ているのでしょうか。

2010年12月7日火曜日

観たい映画のメモ



98 bd du Montparnasse, 75014 Paris
11:15  13:55  15:55  17:55  19:55  21:55

Ce n'est qu'un début

‎1h37mn‎‎ - Documentaire‎
Ils s'appellent Azouaou, Abderhamène, Louise, Shana, Kyria ou Yanis, ils ont entre 3 ans et 4 ans quand ils commencent à discuter librement et tous ensemble de l'amour, la liberté, l'autorité, la différence, l'intelligence. Durant leurs premières années de maternelle, ces enfants, élèves à l'école d'application Jacques-Prévert de Le Mée-sur-Seine, dans une ZEP de Seine-et-Marne, ont expérimenté avec leur maîtresse, Pascaline, la mise en place d'un atelier à visée philosophique. Plusieurs fois par mois, assis en cercle autour d'une bougie allumée par Pascaline, ils apprennent à s'exprimer, à s'écouter, à se connaître et se reconnaître tout en réfléchissant à des sujets normalement abordés dans le système scolaire français en classe de terminale. « Moins

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