2009年7月30日木曜日

閉塞感で悲観にくれる国内に新鮮な視点を与える「ブログ文壇」



■ブログで日本の未来論が話題ブログ文壇という新しい討論の場所


ネット上では、今、日本人の日本の現状・未来について書かれているブログが大変盛り上がっているようです。

昨日、今日(7月27日)と日本人の「日本のこれから論」が話題のブログの上位に入っていました。

ブログを利用して、全世界に自分の考えを発表しようという人が増えているんだそうです。

ネットの有効活用をしている人たちですから、20代から30代の若い層の意見が多くに偏りがちという弱点はあるかもしれませんが、私もネット世代の若者なので、どの意見にも共感できることが多く、大変興味深く読んでいます。以下、二つの海外在住者ブログより楽観論、悲観論を参考に貼り付けます。

これまでずっとなるべく言わないようにしていたのだが、もう平たく/明快に言うことにしました。
1)日本はもう立ち直れないと思う。
だから、
2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい。

これまでは、1)は言わずに、2)だけ言ってきた。 
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html¥


  • ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る(フランス型)
  • ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす(アルゼンチン 型。あの国も19世紀終わり頃には「新たな世界の中核を担うのはアメリカかアルゼンチンか、と言われたほどだったんですけど・・・・)
  • ワーストケース:閉塞感と絶望と貧困に苛まされる層が増加、右傾化・極端で独りよがりな国粋主義の台頭を促す。http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html¥



日本がもうダメだと言う時はだいたい経済 が取り上げられます。ヨーロッパの国々と比較するならば、日本経済は異常に絶好調と言えるくらいです。さらに言え ば日本経済がもっともっと落ちぶれても日本は大丈夫です。150年前の開国以来、西洋の知恵を取り入れるようになってからの、たゆまぬ蓄積があります。水 道網、電気、交通、ネットなどのインフラは世界最上位で、教育水準も高く、世界上位の科学技術を持つと言われています。僕の携わる高度交通システム (ITS)やロボットの研究では、技術調査というとアメリカ、EU、日本の技術動向を調べる習慣があります。いちおう今のところ、世界の3極のうちに入れ てもらっているわけです。http://mesetudesenfrance.blogspot.com/2009/07/blog-post_28.html



■国外に住む日本人からみた日本の意見への関心が高い


特に海外に住む日本人が日本を外から見た客観的な生の意見はブックマークに登録される率が高いようです。




■ブログの意見は両極端 

海外在住者によるブログでの日本の現状や日本の将来についての認識はそれぞれです。ただ、国内にいない分、客観的な視点で日本を見ているのは共通していて、例えば、ほかの国をモデルケースにして未来の日本の姿を予想したり、自分が住んでいる国の人が日本をどう思っているか、というのを紹介したりと、日本国内に住む人にとって興味深い切り口です。




■日本の読者の反応の基本にあるのは閉塞感

ブログ読者の反応もまた賛否両論あります。

しかしコメント欄を眺めていると、賛否はわかれているものの、基本的には日本の将来は暗いと考えている人がほとんどという 印象を受けます。

「日本は大丈夫」との楽観的な意見のブログに同意する人のコメントの中は、「励まされる」「ありがとう」「頑張ろうと思う」「元気がでた」というコメントが見られ、すでに日本の現状をかなり暗いものという前提で捉えているのがうかがえるからです。

楽観的意見を栄養にして、これから頑張り たい、という人々のようです。

一方楽観的な見方を否定する人はもちろん、「日本はもう駄目だ」と思っています。ですからどちらも、根底に日本に対する非常にネガティブな 認識があるのは共通しています。

つまり、日本人の基本認識としては「日本はこのままだとまずい」というネガティブな認識が多数を占めており、その中で「努力すれば何とかなる」派と「何をしてももう駄目」派に分かれている、と言えるのではないかと考えます。




では、このネガティブな視点はどこからくるのかというと、やはり個々が日本の中で生活の中で感じている「閉塞感」にあるように思います。

日本に住んでいる読者の反応ではよく見るのに、海外に住んでいる人たちからは聞かれない言葉です。

海外に住んでいても日本人としての意識を少しでももっていれば、ある程度の情報はネットや新聞、ラジオなどを通して手に入れているはずなのに、海外の人からは閉塞感という言葉を聞きません。

しかしブログの反応をみていると、「閉塞感」は相当なんだなと思わされます。この閉塞感が、ネガティブな日本認識の根底にあると思われます。


この「閉塞感」の理由は

1、就職氷河期に大学を卒業した人たちはネット世代ど真ん中でもあることから、「ブログ文壇」に接する人の中には就職や生活の面で苦しい思いをしている人が多い。


2、日本国内の人が接しやすい情報、つまりマスコミ、特にTVによる影響がかなり強い。

からだと予想します。海外に住む人は生活の苦労していたとしても、日本の社会システムは関係していないし、毎日日本のTVを見る人は極端に少ないのでどちらの理由ももちません。





■TVで感じた違和感

2008年の暮れに日本に帰国した際に私が非常に違和感を覚えたのは年末の音楽番組、紅白歌合戦を見ていたときのことでした。

この一年を代表する歌手の曲とその 合間のちょっとしたエンターテイメントにより、2008年度日本の気配を嗅ぎ取ることができたのですが、

「日本の未来は大変暗いが、みんな、気を落とさずがんばりましょう。」

とやたらと煽られているような気がして別にブラウン管の向こうにいる人に励まされるほど、気を落としていない私は、「気を落としていないといけないのか」と妙な気分になりました。「日本は危機的状況なんだ」という価値観を植えつけようとしているようにすら感じました。

こんなのを毎日みていたら楽観している人でさえ、暗い気持ちになってしまいそうだと思いました。

数字で見ると、現状の日本経済はそんなに悪くないのに、海外の日本の漫画ブームだって相当なものなのに、まるで日本全体が最悪なように煽るというのは、日本人に危機感をもたせて働かせるためか、今現在まったく痛手を受けていない裕福層に不満の矛先が向かないためなのか。

よくわかりませんが、とにかく何か裏があるように勘ぐってしまうのはひねくれた見方でしょうか。日本を離れて鈍感になってしまっただけのでしょうか。


■「ブログ文壇」の台頭「世界の中の日本」を正しくつかむ必要性

ブログへの反応をみても、海外数字でしっかり現状をとらえているというよりは、はっきり根拠はないが、日本は駄目だと思っているという人が多いように感じます。

海外在住日本人の意見は、そのような知らぬ間にかけている色眼鏡をはずすのにはちょうどよいと思います。まず「世界の中の日本」を悲観も楽観(主観)もしないで、正しく認識しようとすること(客観)が必要だと思います。

「なんとなく日本はもう駄目なんだろうけれど、実際はどうなのか」

という人たちにとって、自分の体験をもとに「世界の中の日本」を論じている海外の「ブログ文壇」の意見はこれからさらに注目を集めるのではないでしょうか。

2009年7月27日月曜日

サントリーニ島:美しいのは夕日か街か?








夕日が美しいといわれているイオの街ではすっかり観光客になって見晴らしの良い小道を散策しながら写真をたくさん撮りました。



イオの家々、教会の真っ白な壁には太陽ががよく反射するので夕焼けがよく反射し、街全体が透明なオレンジ色のフィルターをかけて見たような幻想的な美しい風景となります。初めて訪れたのにどこか懐古的な感情を覚える静けさがあります。

この街は本当にどこでも「絵になる」のですが、よりよい構図を探して小道を登ったり下ったりしてたくさん撮影しました。自分が「撮ろうかな」と思っている位置にすでにカメラを構えている人がいるのは国籍年齢関係なく、自分と似た感覚の人があることを知ってうれしいものでした。私が「撮りたい」と思うところはたいてい人がぽつぽつとしかいなかったのですが、自分の感性が揺さぶられるにまかせて写真をとるのは実に心地よい集中でした。



ただ、海のほうを向いている人たちは、街の景色よりも海に落ちる夕日をみている人の多いことがちょっと不思議に思えました。


わたしはオレンジ色に染まる街と、それを背景にした太陽が美しいと思いました。


「夕日が綺麗な街イオ」

というこの街の謳い文句は、ここを訪れてみて、「夕日に照らされた街の美しさ、街を背景にした夕日という風景美」でもあり「イオから見える夕日自体が美しい街」でもあるのでしょう。

ローマ→ナポリ→バーリ 読書が愉しい電車の旅

7月のイタリア・ローマ旅行の雑感です。


ローマの建国者は狼に育てられたと言われているそうです。


ナポリからバーリへ行く電車のなかでローマ帝国史を読んでいました。


ローマ帝国の中心地であった地でローマ帝国の遺跡をめぐりながらこの本を読むのはとても贅沢なことでした。



高校の時、世界史の先生が面白おかしくさまざまな歴史上のエピソードを話してくれたのが
思い出されました。

地を這うような電車の旅、時間はかかるので効率は悪いけれど、電車の中での読書のひと時は結構好きです。ときどき車窓からローマ帝国の遺物と思われる建物が見えました。

2009年7月24日金曜日

イタリア・ギリシャ旅の所感 旅行から帰って

ギリシャ サントリーニ島 イオの町


誕生日の記念にイタリア・ギリシャを旅してきました。旅行中にメッセージをメールで寄せてくださった方々、ありがとうございます。

ローマ コロッセオ 

飛行機、バス、タクシー、フェリーと外国3国のあらゆる交通機関を利用して地を這うに廻った今回の旅行は、旅先の感動もさることながら、すべてほぼ完全にトラブルなく終了したことが何よりでした。

ローマ 期待どおりのおいしいきのこのリゾット


やるべきことが片付け切らないままに出かけることになったので、帰ってきたらさぞかし「どんより」するかと思いきや、まったく逆で、最後の滞在地ギリシャですでに日常への回顧といとしさのような感情があらわれ、帰ったときにはいままでにないほどの安堵と「地に足がついた」心地よさがやってきました。

ギリシャ サントリーニ島 イオの町 夕暮れの少し手前

バチカン市国 キリスト教の総本山


いや、エーゲ海に落ちる太陽をフェリーからすっかり見届けている間にも、すでにそうだったかもしれません。

バーリ(イタリア)→パトラ(ギリシャ)の船上からみたエーゲ海に沈む太陽


天井からの日光の熱で寝苦しいベッドでかすかに自分のにおいのする枕に鼻をうずめたときには、あれほど「また近いうちに絶対訪れよう」と思ったサントリーニのイアの村の絶景もすでに遠い旅の記憶になっていることに自分でも驚くほどでした。


イタリア ナポリの下町通り

「よーし明日は買い物に洗濯、料理もしよう。そうそう、こんな普通の毎日が一番!」という気持ちでまたフランスでの一週間ぶりの夜があけました。

冬があけてからの旅への憧れがすっかり満たされたようです。

いつものような誰もが撮るような観光地の写真はこのページで、私の心が動いたことや旅に連れて行った本のことはまた別のエントリーで、忘れないうちに時間みつけて書いていこうと思います。



2009年7月14日火曜日

ゴルドの写真たち

アヴィニョンからのラベンダーツアーで寄った二つの町ゴルドとルシヨンのうち、ゴルドの写真をのせます。



この眺望のすばらしさは一枚の写真ではとうてい伝わりきりませんが、町中心にとるとこんな感じ。

空を大きく切り取ると、空に浮かぶような町の風景がなんとなくつたわるかも。

町の入り口。どこもつい歩いてみたくなる石畳の小さな路地です。







町の教会。壁にはピンクと水色が多用されていて、荘厳というよりはどこかかわいらしく暖かな印象でした。



このあたりを車ではしるとこの石の壁が目を引きます。いつかリュベロンの写真集で見たのと一緒!ラベンダーの紫に非常によく合います。

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2009年7月13日月曜日

ベルリン旅行雑感:モード分析とドイツの歴史

ベルリンの観光日記です。ファッションの分析からドイツの歴史までいろいろ書きます。

フランスとドイツの違いとファッション

2泊して3日目の早朝に帰る、というかなりあわただしいスケジュール、よく知らない土地、フランス語も通じないし、直前で現地で会うはずの人との予定がずれて完全に一人旅することになり、旅行中ずっと緊張状態でした。はじめはフランスでもこれくらい緊張していたはずなのに、今では空港に戻ってくると安心している自分に気がつきました。

フランスとドイツは隣接した同じヨーロッパの国なのに、ドイツの雰囲気はフランスとはずいぶん違いました。町並みからしてパリのようなエレガントさを競うような雰囲気がなく、質実剛健、真面目などというステレオタイプな国民性もあながちうそではない、と感じさせます。


ファッションもスペインともフランスとも違います。以下、私の主観ですが、今回一人でぶらぶら町を歩いたこともあってか、土地の人の服装の違いに妙に目がいってしまったので、フランス、スペイン、ドイツ、各国の女性のモードの傾向をあげておきます。

ドイツ
デザインや柄が独創的なミニマルでモダンな服に足元はしっかりとした履き心地のよさそうな靴。
髪の毛の色もコーディネートの一部として気を使っている。

スペイン
派手な色使いにヒールを履いてきらきらしたものをいっぱいみにつけて女性らしさをものすごく強調する服。

フランス
自分に似合う色(主に黒か茶)のシンプルなコーディネートに一部だけ凝った装飾や小物使いの工夫を取り入れて自分らしさを出す。



美術館


博物館島という世界遺産があって、ここにまとまって重要な美術館が建っています。私はペルガモン美術館へ行きました。


工事中であまり外見はよくないのですが、博物館の正面です。

トルコ・イスラム文化の展示はたいへん見ごたえがありました。ヨーロッパのものばかり見ることが多いので、アジアっぽくもあり、西洋っぽくもあってまさに文化の融合地帯という感じです。例えば、人物の顔は目が細めで、仏像や聖徳太子のようなのに、らくだに乗っていたり、葡萄の葉のモチーフで縁取られて居たりしました。トルコの青は印象的でした。


ギリシャの宮殿の一部を小さく切って組み立てなおして展示しているそうです。ドイツが奪ったということですよね・・・来週ギリシャ旅行にいくのですが、その神殿をここで見るのはちょっと変な感じでした。
バビロニアのイシュタール門。紀元前560年ごろ。ネブカドネツァル2世の力がここに集約されているわけです。オーディオガイドではあまり詳しく解説されなかった気がしますが、バビロニア王国といえば、「バビロン捕囚」、気になって調べてみました。

世界史でおなじみの「バビロン捕囚」では有能なユダヤ3000人のユダヤ人がユダ王国から捕虜としてバビロニアに拉致されたということです。(その後約1万人が捕囚)すぐに帰れると思っていた人々もエルサレムが破壊され、想像以上に長い間、バビロニアにとどまることを強いられることになりました。解放されたのは半世紀後で、すでにバビロニア文化の中で生まれた2世代目の人たちはバビロニアに残ることを選んだ人も多かったそうです。それでユダヤの人々がここでヘブライ文字からアラム文字を使うようになるなど、文化的に非常に影響をうけたということです。ユダヤの迫害の歴史の象徴という印象をこのイシュタール門の展示に持たせることの影響を避けるためにあまりくわしい解説がないのかもしれません。



歩くライオンのモチーフ「われに永遠の命をあたえたまえ」みたいなことも記されているそうです。


大聖堂。時間がなくて外観だけ。


ブランデンブルグ門
ブランデンブルグ門は人通りがまばらで、東側のミッテ地区に人が集中していました。統一前は壁の一部だったところで、東西ドイツ統一の象徴です。アメリカ大使館がすぐわきに立てられていて、大きな旗がたっていました。

ミッテ地区

写真の通りにはアンネ・フランクについての展示室とゲットーで子どもたちが描いた絵の展示室があり、行ってきました。アンネの展示会の受付のおじさんのひげがすごく立派でつい視線がいってしまいました。あまりじろじろみては失礼か、それとも、ご自慢のひげをみんなに見て欲しいからいいのか、など考えながら展示をすすむと、ヒトラー率いるドイツ軍にひげを強制的にそられている「ユダヤ人」の男の人の写真がありました。ユダヤの人々にとってアイデンティティを象徴するひげを失うことは、自分の存在価値の剥奪されるのと同じことです。なぜ同じ人間同士なのにこんな悲しいことがおこりうるのか。イシュタール門につづき、ドイツではユダヤ人というだけで迫害されてきた人々の歴史を思うことになりました。

つづく

2009年7月11日土曜日

プロフィール シュタイナー教育とのつながり



シュタイナー教育との関わりについてという観点のプロフィールです。


キリスト教保育とシュタイナー

私が勤めていた幼稚園はキリスト教保育の園でした。もともと就職が決まりかけていた園はシュタイナー幼稚園だったのですが、縁あって、勤めることになったキリスト教保育の園でもシュタイナーの精神に触れることになりました。そこでは、一人ひとりが神様に愛されているかけがえのない存在である、という大前提にたち、キリスト教 の精神を基に子どもが神さまの愛を知り、人を愛し、愛される人になることが願いとしてありました。また、“遊び”を大切にした保育をしていて、教師は遊びを中心とした園生活の中で幼児が自発的、創造的に発達するように導く手助けをしていました。

シュタイナー教育とのつながりは表立って園の方針として掲げられてはいませんでしたが、ぬらし絵をしたり、羊毛をつかっての作業や織物などをとりいれて、多分にシュタイナー教育的なところがあり、シュタイナー幼稚園に勤めた経験のある教師もいました。わたしはここの園でシュタイナー教育に非常に興味をもつようになりました。とくにぬらし絵の体験での子どもの様子は非常に興味深く、もっとよく知りたい、と思うようになりました。


フランスのシュタイナー教育って?

2007年にフランスに来てからすぐ、フランスでシュタイナー教育や人智学について学べるところを探しはじめました。パリ14区にある人智学協会の公開講議やぬらし絵の、オイリュトミーなどの講座に参加しました。当時は語学学校に通っていましたが夏休みを利用してベルギーの「外遊びの会」という子育てのサークルにて、「ぬらし絵のワークショップ」や「母親むけの絵本講座」、「工作&外遊び」、「泥団子づくり」、などの活動をしました。そこでの活動をきっかけに、パリ市シャトレ日本人学校の貸し教室で「色彩の体験」「お母さんのための絵本講座」を開きました。その頃「パリでシュタイナー」のコミュニティを作りました。

ぬらし絵のアトリエまで

郊外に教師養成学校があることを知り、通うことも検討しましたが、毎日通う本格的なコースはなく、3年間の養成講座は週末月一回というものがパリ市郊外ありました。しかし学校として認定されているわけではありません。生涯教育の位置づけになっていました。いろいろ調べるにつれ、フランスでは、シュタイナー教育はまだまだ認知度が低く、日本の状況と同じくらいなことが感じられました。本科コースのようなものはなく、週末月一回、3年間通うというスタイルだったので、講師の質や講座のレベルに不安があったこと、そのときの語学のレベルに不安があったことから結局、一番興味のあった、シュタイナーの色彩理論をもとにしたアートテラピーをまずははじめることにして、パリ市内外のアトリエをいくつかまわりました。2007年の冬から2008年にはハウシュカ理論のアートセラピスト養成講座の準備コースに通いました。結局、今通っているパリ14区のアトリエに腰を落ち着けることにしました。2008年の2月から通っています。


以下、これにつなげて書きたいことがありすぎてまとめきれないので、リストっぽくあげておきます。

・シュタイナー教育だけに限定しないことと公教育を変えていくこと

方法としては大きく二つ

1、公教育を変える
2、公教育以外の教育を強化する

シュタイナー教育を紹介することは2

日本の子どもたちの大部分は公の学校に通っていて、それ以外の選択肢は非常に少数派。
1を少しでもすすめることは全体的には大きいこと。2をすすめるには、公教育ではない教育のそれぞれの共通点を探して連帯を図り、公教育、政府に対しての発言力、影響力を強めることが必要。
→シュタイナー含めすべてのオルタナティブ教育について理解を深めること。違いをみつけて、自分の信じる教育ばかりを主張するのではなく、共通点を探すこと。


・教育の先進国からいかにして日本へとりいれるか

・問題点生み出す力、創意工夫のなさ

・少子化という現象について
親子ストレスは少子化だけでなく競争社会

・日本とフランスの大学の違い
フランスの懐の広さ、福祉大国としてのフランス

2009年7月10日金曜日

ドイツでみつけた北欧の玩具で遊ぶ

                ''ça fait de la musique!''(Théo)

7月10日

今週の半ばにベルリンで2泊してきました。宿の目の前が偶然おもちゃやさんだったので、ふらりと入ったらシュタイナー幼稚園にありそうなお人形や木のおもちゃがいくつかですが見つけました。写真のスウェーデン製の木のおもちゃ「カラーツリークーゲル」を購入しました。(ベルギーでは以前紹介のペリピッコリさんでネット購入が可能です。)一番上にビー玉を落とすと螺旋を描いて素朴でここちよい音をたてて転がります。


展示用に店の奥のほうに飾ってあった最後の一個で、埃がつもっていたので、店主さんが「少し割引するよ、それでいいかい?」と言ったのに対して「très bien^^」と、なぜかフランス語で答えてしまったら、実はその店主のおじさんはフランスの銀行にお勤めしていた方でフランス語が話せる人で、しかも私が支払いに差し出したカードがそこの銀行のものだったので、「フランスで何してるの?」「教育学です」みたいな話からはじまりちょっとおしゃべりをしました。なかなか楽しいエピソードでした。ビー玉とドイツ語の絵本のパンフレットも一緒に紙袋に入れてくれました。

おもちゃやさんはこのドイツの旅の目的だったのですが、探せるかどうか心配だったので、偶然が重なって幸運でした。ドイツに行ったらシュタイナー学校でつかわれる木のおもちゃをドイツで、と意気込んでいたのですが、意外にこのお店のほかにはこういうおもちゃを扱うお店はまったく見つけられませんでした。

ベルリンの旅のあれこれについてはまた別に今書いているところです。

早朝の飛行機でパリにもどって空港から直接トマとテオのお家へ向かって仕事でした。お土産のくまマークのシャボン玉とHARIBOのキャンディを楽しんだ後、紙袋の中から頭が飛び出していたこのおもちゃを早速見つけた二人。

パズルや積み木などよりは体を動かして遊ぶほうを好む二人なのに、このおもちゃにはものすごい興味を示して、30分以上も遊んだのにはびっくりしました。

ビー玉がなくなってしまったので替わりに小さくて丸いもの探しからはじめました。子どもの部屋にはほんとうにたくさんおもちゃがあるのに、意外にシンプルなまん丸の形をしたものというのがないことに気づかされました。結局粘土を丸めて落としてみたところ、これが大正解!。

自分で粘土の玉を丸める手作業が加わって自分の頭を使って工夫する余地ができたのも長く遊べた理由だったと思います。(二人とも粘土丸めがものすごく下手なことも発見しました。) ビー玉よりもやわらかい、やさしい音がするし、大きさも好きに変えられるので「一度に何個も転がしてみたらどうなるかな~?」、「大きいのと小さいのどっちが早いかな?」と自然と疑問が湧きましたし、すぐに実験してたしかめることができました。大きな玉と小さな玉の転がる速さに関して、子どもたちが二人とも小さいほうが早い、と答えたのがとても不思議で、「どれどれ・・・」と実験している間に私もすっかりはまってしまいました。色と質感の美しさは飾っておくだけでも十分価値があると思っていましたが、やはりおもちゃは子どもと遊んでみるとその底力がよくわかります。本当に良い絵本やおもちゃは子どもと大人が対等に楽しい時間を分かち合える、その媒体ともなってくれます。

2009年7月5日日曜日

子どもとつくったヨーグルトケーキ:レシピつき

フランスは今とても暑いです。夏休みにはいりましたが、ご両親は仕事があるので、今月は基本的に一日中子どもたちと一緒です。子どもたちは私がフランス家庭でみているフランス人の男の子のトマとテオです。
テオが持って帰ってきた学校のプリントの中にヨーグルトケーキのレシピがあったのをみつけて、子どもたちとつくることにしました。テオは「学校でやったからしってるよ!」とやる気満々です。ちなみに弟トマはエプロンを探しに行ったきり帰ってきません。

トマ。水中メガネとチューブのセットに心を奪われ中でした。


「卵割るよ~」のポーズ。すでに作った人の余裕が感じられます。

コツコツコツ・・・ グシャ、あっ!・・・・・
なぜか逆に割れてしまいました。殻が中、中身が外へ・・・。

経験が大事。気にしない気にしない!

写真撮り忘れましたが、トマが卵を全部割った後やってきて「ぼくもやる!!」と言ってきかないので、分量外でしたがもう一個卵を投入。卵多すぎですが、細かいことは気にしません!トマの卵割りは大成功でした。


きれいに焼けました。くまの型は子どもたちが選びました。小麦粉や砂糖、油をすべてヨーグルトの容器で計量するのでとても簡単でした。
焼きあがった途端にやってきた子どもたちが大興奮しているところ。出来立てをすぐに取り分けたらトマがいいことを思いつきました。

トマ「熱すぎて食べられないよ~。そうだ、水をかけて食べようよ!だって、つめたくなるでしょ?」

私「??!水?」

トマはこういう思いつきがときどきすごく面白いです。

ケーキに水というのはさすがにおいしくなさそうなので、小さく切って冷やすことにしました。

自分で一人で作るより3倍大変ですが、3倍面白いお菓子づくりでした。


★ヨーグルトカップで軽量 簡単、フランスの幼稚園のヨーグルトケーキ★

材料
・小麦粉         ヨーグルトカップに3杯
・ヨーグルト        1カップ
・砂糖           ヨーグルトカップに2杯
・卵            3個
・ベーキングパウダー 1袋

材料を混ぜて型に流し込み180度で30分

2009年7月3日金曜日

リュベロンのラベンダー

フランス滞在中になんとしても行きたかったラベンダー畑に念願かなって行くことができました。

ラベンダーの季節は6月下旬から7月の3週目~8月のはじめくらいまでなんですが、一番いい時期がバカンス前です。ということは、一年の中で一番所用で忙しい時期なんですよね。急で、しかもはずせない予定が入りやすいので事前のチケットの予約がなかなかむずかしいこと、車が無い人の場合はツアーを早めに予約するほうがいいこと、直前の予約は花の時期が限られているため同じ時期に観光客が集中するため非常に値段が上がること、などから実はリュベロンのラベンダー畑は行けそうで行きにくい場所だと思います。

旅の苦味

昨年は事前のリサーチが甘くて時期を逃してしまったので、今回はかなり前からチケットを予約したのですが、急な用事でドイツへいくことになって、日程を変更せざるおえなくなってしまいました。結局チケットはドイツの飛行機よりも高くなってしまいました。

それから事前に直接電話して申し込んでいたツアーも変更になって、一番行きたかったセナンク修道院に行くことができなかったのが非常に残念で、ひとつ上のランクのツアーに変更になったのにもかかわらず、実はツアー中非常に落胆してしまいました南仏の風を感じられただけでも贅沢な話なのに、まだまだ修行が足りませんね。フランスはこういうことがいくらでも起こりうる、と言い聞かせても、これはかなり残念で、なかなか立ち直れませんでした。こういう事態を避け、どうしても行きたいところに確実に行くには、車がなければりレンタカーが一番いいと学びました。


パリのリヨン駅からTGVで約3時間。

アヴィニヨンの町からツアーに参加しました。アビニョンの町は城壁にぐるりと囲まれています。
お昼はプチトラムで町をめぐった際に見つけた南仏料理を出すレストランでいただきました。野菜のミルフィーユと自家製オリーブのタプナード、ミントとシナモンの効いた爽やかな味のタブレです。暑い日だったのでぴったりのメニューでした。南仏料理は味つけがしっかりとしていて、とにかく野菜がおいしく、日本人の口によく合います。
ラベンダーの種類は主に2種類あるそうで、色の濃さと香りが違います。この濃い色のほうは限られた場所でしか栽培されないと聞きました。
花の周りには蜜蜂がたくさんいて、蜜を運ぶのに忙しそうでした。

ラベンダーの製造過程がみられるラベンダー博物館に行きました。ラベンダーのエッセンスを抽出するための方法はとてもシンプルです。伝統的な作り方ではラベンダーと水を混ぜて火にかけると鍋のパイプから水とエッセンスが出てくるというものです。新しい抽出方法では水とラベンダーを混ぜないで火にかけます。

博物館の庭です。
3つのラベンダー畑に寄りました。
ひまわり畑もみました。大量のひまわりが、みーんなそろって太陽のほうを向いているのが面白いです。
フランス語でひまわりは「太陽の花」というらしいです。ここはツアーの出発地点から程近いので自分の足で行きました。
「アヴィニョンの橋でおどろよおどろよ」の歌で有名なアヴィニョン橋です。
アヴィニョンの人々は驚くほど優しく、とても親切でした。来年はもっとのんびり滞在したいです。

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