2010年5月21日金曜日

学年末です


この時期フランスで学生をがんばり中の人はとっても忙しそうです。自分も含めて。

というのは学年末のテストが近いというのに、それと平行して来年度の学校の登録手続きや願書の準備もこの時期からはじまっているので今しばければならないことと、来年のためにやるべきことと両方こなさなくてはいけないからです。

とくに学校を変えようという予定の人は本当にいそがしいはず。わたしも担当教授の引退後思い切って他の大学に変えようかと考えていたりしていろいろなことで頭の中はがぐちゃぐちゃになりがちです。


私の場合は仕事もこの学校の年度末が大きな区切りで、新しい家庭にうつったり、会社を変えたりしたいのならばこのときが一番よい時期です。今後仕事をどうしていきたいのかも同時進行でバカンスが始まるまでにしっかり考えて行動にうつさないといけません。

だからとっても時間が早く過ぎます。楽しむのも大事!と夏の休暇中に国外旅行でも行こうかとおもったときにはときすでに遅し、バカンスにかけては手が早いフランス人にいい切符を全部とられてしまっていたりします。

このばたばたした毎日のなかで唯一救われているのが仕事の時間というんだから私も少し変かもしれません。でも、お世話している子どもたちにはほんとうに楽しませてもらっています。

子どもの話に耳を傾けると子どもの時間の流れと私たち大人のそれとの違いや彼らの世界の見え方にはっとさせられることがよくあります。そして彼らはとっても愛らしい。論文の時間を彼らに取られているともいえるんですが、私が論文の合間にするにはこれが一番向いているといってもいいくらいいい息抜きの時間にすらなっています。

今日は定番の塩にぎりを子どももたちと一緒につくりました。テーブルとせっかく着替えたばかりのパジャマが米粒だらけになって片づけが非常に大変だったんですが、お父さんが子どもたちの日本文化体験を珍しがって喜んでくれるのでまあ良しとします。

とにかく一つ一つやっていくしかありませんね。

論文提出のひきこもごも

私の担当教授はインド人もびっくりの超辛口コメンター。でも的確。的確すぎて痛いくらい。おそらくこれは彼女の人生戦略なんだとおもいます。まず胸を突き刺すような先制攻撃で相手の戦意喪失をはかり、その上で自分の理論なり意見なりをしっかり 主張する。攻撃は最大の防御、というやつです。フランスではこれは必要なスキルです。


約ひと月前の論文計画の提出の際のやりとりで、かなり焦りと恐れをもつことになって、この一ヶ月とくにフランス語の直しにとりかかりまでの3週間くらい、寝ても冷めても論文にとらわれていました。お花見も行かずに。それはもう自律神経がやられてしまいそうになるくらいに。なにを恐れていたかというと、先生からの絶望的なダメだしです。私は6月の審査にどうしても間に合わせなくてはいけない事情があるので、次の面接で先生にある程度みとめてもらえないともう後がない、という気分だったのでよけいにプレッシャーを感じて日々過ごしていました。

わたしは辛口は好きだけれどそれはインド料理やタイ料理のことでコメントの辛いのは苦手。あんまり刺激が強いと足はガクガク頭は無政府状態でフランス語が壊滅的になるからです。そんな先生に今日は手と声とを震わせながらおそるおそる論文を提出してきました。それはもう「カミカゼ」の覚悟で。


で、わりとあっさり教授のOKがでました。


論文の口述審査が6月中旬に決まりました。


嬉しい。


担当教授がGOサインを出したということは審査にある程度の評価で通過する可能性がかなりあるということ。しかもいいことがもうひとつ。そのあとにあった試験もわたしとしてはかなりよくできた。しかも担当教授の授業だったので。授業の合間に論文の内容すべて通してのチェックと詳細なアドバイスまで。

あと、フランス語も「少しはまし」になったとも。そういえば最近ほんの少しだけフランス語の文献の理解度が増したような気がします。

この一月これまでないくらいの量のフランス語を読み書きしたのと関係があるような気がするので多分そうなんでしょう。私には極めて聞き取りにくい若い生徒たちの会話も今日はなんとなく前よりも意味がわかったような気もします。このままも猛烈に勉強すればレベルアップに直結しそうな感じがする。この波にぜひできるだけ長くのっていたいのですが、すでに今夜はBig Bang Theoryをここぞとばかりにまとめてみてしまいました。フランス語脳を維持しなければなのに。


というわけで心理的に少しおちついたのであともうひと分踏ん張りできそうです。遠くで近くで応援してくれている私の大切な人たち、どうもありがとう。

2010年5月16日日曜日

夜の鏡の間でつぶやく。

少し前ですが美術館の夜、というイベントがあってパリ近郊の美術館の無料で夜間開館する日でした。私はパリまで出ると帰りが遅くなるという消極的な理由でヴェルサイユ宮殿に行ってきました。

宮殿でのイベントは8人のジャーナリストのオーディオガイドでした。いつもの淡々としたガイドよりも楽しめましたが、周囲で喋っているフランス人観光客他国レベルの感想を言っているだけにしか聞こえなかったので、企画としてはいまいち盛り上がりにかける感じでした。

それから到着したばかりでフランス語がわからない友達もいたのでフランス語しかなかったのは残念でしたが、夜の鏡の間は普段よりもきらびやかで見ごたえがありました。この鏡の間が本領発揮するのはやはり夜の宴のときなんですね。納得。

多少目を引いたのはtwitterでのつぶやきを推奨する看板とパソコンスペース。you tube にあげるための撮影スタッフがいて、しきりに私たちのグループにつぶやきと撮影協力してくれないかとすすめてきました。スタッフはいい感じの人ばかりでしたが、あんまり人数が多くて目立つのとちょっと実験台にされているような気分で少し興ざめでした...

3歳の内緒話



わたしのお世話している3歳の男の子、最近「ないしょ話」が好きです。

耳と口の使い方がいまいちわからないらしく、わたしの耳元に自分の耳をくっつけて、ひそひそ声でしゃべっています。

うーん、惜しいwww。

そういうわけでまったく秘密情報になっていませんが、秘密にしたいというよりは小声でひそひそ話す親しげなあの雰囲気を再現したいようで本人いたって満足そうです。

このような姿に子どもの自己中心性がみてとれます。この子は自分の母親が自分にささやいたのをその通りに再現しようと思っても、自分の側の動きしか再現できていません。まだ自分が見ていないときに他人がどういう動きをしているかを推理することができないのです。かくれんぼでは目だけつむっていればうまく隠れたつもりになれる時期です。私はこういうまだ半分夢の中にすんでいるような状態をしっかりたっぷり経験してから次のステップに向かうのが極めて大切だと思っています。天使の羽が取れたのにまだ自分で気がついていないような覚醒前の状態といいましょうか。これは3歳くらいではまったくもって当たり前の状態、むしろ普通ですから間違っても早期教育などと言って大人が夢の世界からひきずりだすようなことはしてはいけません。

2010年5月7日金曜日

郊外の教会でモダンコーラスの夕べ

パリの北郊外のサンドニ。大学の友達に誘われてこの地区の教会の声楽コンサートにいってきました。帰りが遅くなるので、ちょっと怖いなと思いつつも、日本人の歌手がソプラノを担当すると聞いて行ってきました。

とても前衛的で、まるでモダンバレエを見た後みたいな気持ちになるすごく現代的な声楽コンサートでこんなのはじめて。大変すばらしかった。

40人の歌手がずらっと教会の内側を輪になるようにしてならび、一人ずつ発声していくのからはじまり、タップや太鼓、顔の表情やしぐさなどでの表現もあり、私の考える教会の声楽コンサートの枠を思いっきりはずしてくれました。もう声楽コンサートというより人の声をつかった一大スペクタクルといった感じでした。


北の郊外というと犯罪や貧困などどず黒いイメージが付きまといますが、実は最近ではワールドミュージックやモダン芸術に力をいれている地区でもあります。不良のイメージばかり強い地域の若者を生き生きとした芸術の場に巻き込んでいこうとする感じ、パリの郊外という言葉に付きまとう暗いイメージを払式しようという意気込みが感じられ、文化の面では大変興味深い地区です。私の大学もこの地区にあり、映画の実践やお芝居やモダンダンスウェブデザインなどを得意とする芸術学部が一番の人気です。新しく作られた町だけに、伝統や歴史に縛られない前衛的な芸術が得意です。

今週はこの地区での音楽イベントをを担当する男性が生涯教育をテーマにするセミナーにゲストスピーカーできていたので開演を待ちながら友達と異文化受容における音楽の有用性について盛り上がりました。友達は50代の青い目の女性です。ソプラノの日本人とお友達で、唯一の日本人であるクラスメイトの私を誘ってくれました。

現代のフランス芸術
日本人が観光に来る際にはパリ観光といえばなにを差し置いてもはずせないのはルーブル美術館とオルセー、そしてオランジュリー、がんばってポンピドゥーセンターといった感じでしょう。でも今のフランスを知りたいなら、社会科の教科書でもみられるようなモナリザやサモトラケのニケなど有名どころを見て行ったつもりになるよりも小さなギャラリーをめぐったり、町の教会のコンサートにいったりするほうがずっとずっと興味深いです。概して働き者の日本人は長いお休みを取るのが大変なのでダイジェスト的に見て回ることになるので残念です。せっかくフランスにくるならゆっくり休みをとって一日くらい無名のギャラリーにもゆっくり足を伸ばせたほうがいいと思います。過去の有名な作品たちは言ったら「蝉の抜け殻」のようなもので、ものめずらしい抜け殻の標本もそれなりに興味深いですが、生きて躍動するもののほうが今に生きる私たちの心にリアルに迫ってくるものではないでしょうか。


パリ郊外のイメージ?
1950年から75年にかけてパリの北側の郊外には写真のような無機質なマンションがたくさん建設されました。多くは移民の人や低所得の人が住むHLMという公共住宅です。都市部の蔓延的な住宅不足と都市部の労働者の増加が主な理由です。経済復興のために国は元植民地の北アフリカやアフリカから多くの労働者を呼びました。フランス人がやりたくない仕事を低賃金で引き受けている人の多くが彼らです。ニューヨークと違って繁華街からかなりはなれたところに位置しているので普通は観光客がまちがっても迷いこむことのない場所ですが、現代のパリのかかえる社会現象を象徴するものすべてがここにあるといってもいいくらいです。パリの郊外というのは移民政策の是非や宗教問題、教育問題と結び付けられて、特別な意味を包含しています。貧民街と同じニュアンスをだれもが感じる郊外という言葉ですが、当事者たちを配慮してなのか、国の移民政策の行き着く先を貧民街と表現したくないだけなのか、センシティヴな地域という表現をよくされています。



コンサート会場の教会は写真の通りやはりこれまた現代的。くもの巣がイエスを守ったという洞窟を模した説教台とモダンな十字架とステンドグラス。40人の歌手たちが教会をとりかこむようにしてずらりと並び、一番端からひとりずつ発声していくのからはじまりました。

PROGRAMME

Tomas Tallis, (1505-1585), Spem in alium
-Motet à 40voix (8choeurs à 5voix)-

Benjamin Britten (1913-1976) - Eight Sacred and Profane lyrics songs op.91

Gyorgy Ligeti (1923-2006) -Trois Etudes hongroises

Bélà Bartok (1881-1945) - Quatre chants populaires hongrois

Peter Eotvos (1944-Hongrie) -Drei madrigalkomodien

Zad Moultaka (1967-Liban) -Cadavre exquis

また是非聞きに行きたいです。

2010年5月5日水曜日

生涯教育と民衆教育


フランスの生涯学習の萌芽は、フランス革命期にさかのぼり、18世紀後半、コンドルセ(Condorcet,J. 1743-1794)の教育案の中には、すでに、学習による男女と年齢の平等、成人労働者の社会的・職業技術向上と教養向上のために一生涯知育継続の必要性についての言及がある。ヨーロッパの多くの国では、成人教育は、階級制度を背景に、民衆を無知から解放するといった農民、労働者の啓蒙教育といった側面を持ち、伝統的に民衆教育運動として各地で行われてきた。http://ejiten.javea.or.jp/content.php?c=TWpZd01ERTQ%3D


éducation populaire(日本語では民衆教育)はフランスの生涯教育について語るときに避けて通れないテーマです。民衆教育を対象とする研究のほぼ半分はわたしのいる教育科学部の領域でされています。


ただ、フランスの生涯教育を捕らえるのは日本人には結構障害が多いです。

なぜかというと日本で生涯教育というとスポーツ振興やカルチャースクールといった文化的なもののみをさすのが常識ですが、フランスで生涯教育=職業につながるような教育、労働者の教育なのです。
公教育に対するそれ以外の教育、とくに成人教育をさすことを前提として語られるのでそこをまず抑えないと、なんで?なんで?の連続です。この違いを深めていくだけでもかなり面白いです。

民衆教育とやらはもっとフランス的で、研究するにあたってはフランスの歴史的背景を知らないと理解に苦しみます。日本語の研究論文を元にフランスの民衆教育の歴史的背景を整理してみましょう。


  • 背景1 コンドルセ理論の再評価
  • 背景2 19世紀労働者運動の影響
  • 背景3 学校をめぐる規範主義と経験主義:マルクス主義対プルードン主義
  • 背景4 労働社会学 ジョルジュフリードマン homme producteur, techno-humanisme 1960-1970 生涯教育 フランス資本主義の近代化の進展、企業の教育、訓練


これらの背景を今につなげ、発展させるものとなったのが1971年法です。労働者の教育に関わる要求が明確な形をとる至りました。

以後成人教育は増加し90年代には70年代の4倍の成人教育が実施されるようになりました。

この71年法はそれまで民衆教育の包含していた

1、職業に関わる生涯教育

2、社会文化の活性化

という二つのテーマをはっきりと区別する役割としても働きました。

社会文化の活性化は70年代に議論が活発になりました。文化大臣マルローの文化政策抵抗する動きは68年の五月革命で爆発しました、マルローは下々の者たちにも崇高な文化というものを理解できるようにさせねばならん、という上から下に文化を教えてやる的な政策をすすめようとし、それに対して民衆たちは、われわれが文化の創造主だ、と主張したのです。

この頃は日本でも学生運動が盛り上がっていた時期ですが、こうした主張っていうのもあったんでしょうか?現在感じる限り、日本の民衆は芸術や文化は神棚に飾ってあがめるような向きがあるように思いますが。

社会文化の活性化はその担い手であるアニマトゥールの養成と公的補助が特徴です。しかしアニマトゥールの資格制度などの制度と反比例してフランスの民衆教育はじつは衰退気味です。関係者の高齢化と最近では移民に関する議論に関心がうつっていることが理由のようです。社会文化活性化は例えば日本の趣味やレジャー=生涯教育的な感覚をフランスでも生じさせてしまったらしく、もともとの根拠や目標を失わせてしまったという批判にさらされています。


そこで民衆教育団体の再評価の動きというのがあります。歴史的に担ってきた社会的公正の確立や民主主義を支える主体の形成、つまり存在意義の再確認が言われるようになっています。

私の研究のテーマのアソシエーションはこうした流れのなかに位置づけられます。

民衆教育団体としては「フランス教育同盟」や「民衆と文化」など活動家によって運営されてきたものが多くあります。

活動家はmillitantといってボランティアともまた区別されます。屈強な意思で民衆運動を先導する人々のことで、給料をもらっている人もいればもらっていないひともいるし、団体に属している人もいない人もいます。アソシエーションにおいてはボランティアを先導する大切な役割を彼らが担っています。

アソシエーションとは日本でいうNPO非営利組織とか結社のことですが厳密には日本のNPOのほうが制約が多いので一致しません。教育に関するアソシエーションだけでなく、すべてのアソシエーションは教育の場になりえます。とくにフランスにおいてはアソシエーションが大衆教育の発展の足場になっていくだろうといわれてます。

現代のような不安定な社会では自分の場所を確保するのに、就職してもあたらしい技術や知識を学び続ける必要性がでてきています。これはすでに大衆の多くが感じているとことろです。日本はまだ生涯学習のイメージというと地域の図書館やスポーツ、公民館開催のカルチャー講座などから抜けきれていませんが、最近の日本の資格検定ブームは生涯教育、の必要性をまさによくあわらしていますね。この資格取得ブームはすでにゆがんだ形で生涯教育の場として提供されています。資格を授ける学会が専門知識と学者と証明発行権を独占し学校化してしまっているからです。


私は今とは違う教育のあり方としてオルタナティブ教育に注目してきたのですが、結局研究は社会学の分野でしているので、フランス社会の一番深い闇の部分を自ら現場に行って見聞するということをしています。私のもともとの関心からするとあまり関係ないように思えますが、学びの場としてのアソシエーションと捉えるとき、今の研究とオルタナティブ教育は教授が示すようにéducation populaireという枠のなかで同じ枠にいれられるのかもしれません。アソシエーションに巻き込まれている人々は教師と生徒という関係ではなく、連帯という名の下に輪のようにつながるイメージです。民族も宗教もなく人間という共通項で人と人があつまりなにかの目標のために人々が集まり交流するところです。人々が交流するところには学びがあります。ただアソシエーションや学校以外での人それぞれが経験した異なる学びを確かなものとして認証するものはありません。こうした背景からVAEというフランスの経験認証制度は大きな希望をもって語られることが増えています。

写真はストラスブールの南にあるコルマー。







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