2009年4月29日水曜日

バルセロナ サグラダ・ファミリア



日本語でいうと、聖家族教会です。ガウディは大変信仰に篤い人だったそうで、教会の建築にたいそう熱意を燃やしたといいます。


エレベーターで上ると装飾のこまかなところまでよく観察できました。

まだ建築中で、完成までにはあと50年とか100年とかいわれているそうです。

教会にはみえるけど、あきらかに普通ではない圧倒的な存在感でした。ガウディは、この教会を作っている途中に亡くなったそうです。夢中になると飲み食いも忘れて打ち込む人だったそうで、建築工事にあっていた人と口論になり、そのことで頭がいっぱいで路面電車に気づかず、ひかれてしまったのだそうです。ガウディの最期は彼の人となりがよくあらわれています。

「ガウディ物語」より
深い傷を負い、病院に運ばれましたが、その人はあまりにみずぼらしい身なりをしていたので、誰もガウディだとわかりませんでした。その人がガウディだと知ったとき、友人たちはクリニックに入院させようとしましたが、ガウディはこれを拒み、こう答えました。
「私のいる場所はここにある。貧しい人の間に」



のぼりはエスカレーター、くだりは自分でこのなかのらせん階段をひたすら降りていきます。ところどころに撮影スポットがあり、カラフルな塔の先端のモチーフや塔に刻まれた言葉を見つけることができました。



インフォメーション

見学料 一般 11ユーロ
     割引  9ユーロ
    
     グエル美術館の入館料とセットで 一般 13ユーロ
                          割引 11ユーロ

バルセロナ





スペインのバルセロナを旅行中です。

百聞は一見にしかず、ということで、このブログの趣旨であるフランス生活とシュタイナーからしばし離れて、スペイン旅行の様子をたくさんの写真とともに記録しておきます。

4月25日(日)

聖家族教会(サグラダ・ファミリア)付近でまず昼食。5時30くらいに起きて、ホテルに到着したあと初のバルセロナ観光でおなかはぺこぺこ。以前ニースで適当に入ったお店があまりよくなかったことがあったので、どんなに空腹でも、レストラン選びには気をぬかないと決めています。

しかしサグラダ・ファミリアは思い切り観光地なので、観光客向けのレストランばかり目に付きます。よさそうなレストランを探すのに少し手間どりましたが、少し歩いたところに偶然見つけた客引きがなく、伝統のありそうなメニューが控えめにおかれてある、レストランが大当たり。カーテンが引いてあって、外から目立たない店なのに、中はスペイン語を話す地元の人らしきお客さんでほぼ満員。


テーブルセッティングもしっかりとしているいい雰囲気のちゃんとしたレストランなのに、ワインがボトルで
10ユーロ。グラスワインは無い、といわれたので、ボトルでいってしまいましたが飲みやすい甘口でさわやかな口当たりで、同行者と二人で残さず飲んでしまいました。

ものすごくやわらかいスパニッシュポークのグリルととても薄くスライスされた繊細な味のする鮭のカルパッチョのキャビアのせを注文。

私はカルパッチョを注文したのですが、これも豚肉同様とてもやわらかく、パリでよく食べているスモークサーモンよりもはるかにおいしかったです。脂がのっているのも日本人好み。本物かはわかりませんが、キャビアも載っていて、見た目にも豪華でした。滞在中にまた行きたいくらいによかったです。

2009年4月24日金曜日

にじみ絵のアトリエ 



最近アトリエで描いた絵の描き出しの写真です。

黄と青で地平線、海、大地、光と闇が現れました。
   
闇が青、黄色は光。

この後、黄色の中央に太陽が昇り、下の青には大地を象徴する山脈がくっきりと現れ、はっきりとした色の境界がなくなっていきました。

ア先生は絵を描く前にのテーマの持つ意味を教えることをしません。それでいて、まったく自由に描くというわけでもありません。山脈の描き方や空のグラデーションなど、自分の好きなように描くところと、色の濃さやグラデーションなど、先生の導きのもとに色をのせていくところがあるのですが、ときどき自分の好みと、進むべき方向とが違うことがあって、そういうときは不安になったり戸惑ったりします。


けれどもいつも、出来上がると、このようになるべきだったのだ、と妙に納得し、達成感を感じるのはなんとも不思議な体験です。

このことについては「人智学にもとづく芸術治療の実際」という本にこうあります。

セラピストたちは患者に、なぜ彼らの一人ひとりに特定の課題を与えるのかを説明しません。ところが彼らの行為そのものが、すでに課題に取り組んでいる間に(時には後になって)、与えられた課題がどのような目的を担っていたかを彼ら自身に感じ取らせるほどにも強く作用することが少なくないのです。
課題の持つ意図について、患者と前もって話し合うようなことはけしてしてはいけません。よい効果を期待することができなくなってしまいます。患者とセラピストのあいだに培われる信頼関係は、成功への保証がなくても練習が続けられるほどに大きなものでなければいけません。そのような信頼関係こそが、回復への最大のチャンスを生み出してくれるのです。課題の意味をともに考えることは、「体験する能力」のじゃまになってしまいます。治癒力は、行為に没頭することのなかにこそ生まれます。
私の場合は患者としてなにか特定の病気を癒すために行っているのではないのですが、このセラピストと患者の関係は先生と生徒の関係とまったく同じに置き換えられます。また、どんな人でも自分の弱いところ、強すぎるところというのがあるものです。導くものと導かれるものという関係があることに気づかされます。信頼して導かれることの快感というのをわたしもようやく最近感じるようになりました。もっと素直に先生にゆだねて描こうと思います。

2009年4月23日木曜日

パリ旧国立図書館


オペラ近くにあるパッサージュでなにやらエキゾチックなお昼ご飯を食べ、そこから徒歩5分くらいのところにある旧国立図書館へ行きました。リシュリュー通りに面していてリシュリュー図書館ともいいます。





さ て閲覧室はただ広いだけでなく,空間を3行3列に分割して上にふわっと9つの ドーム(天蓋付)をあげ,それを16本のほっそりした鋳鉄の柱でうける。このデザインは薄茶の洋傘を9つ開いたようで,ドーム建築に本来的な重厚な意匠を 反対の軽妙な意匠に転換している。それは部材寸法の細い鉄骨造を用いているからで,設計者ラブルーストの独創である。そして彼はここにその時代最祈の図書 館空間を創造したのである。

また閲覧ホールの3方の各面(ホールからの出入口を除く)に4段のバルコニー式書棚(1部力タログ等あり)を 設け,その上の3連アーチにはセルリァンプ ルーの空を主とした樹木の壁画が描かれている。閲覧机の配置は左右2区に分れ,左区には灰色のノート形パソコンが集中しておかれていた。なお入退館管理は 入口のボックスで机の番号をチェックするだけであった。閲覧ホールの奥は出納空間で,上には半楕円ドームが上り,一番奥の倉庫入口を除く壁面は閲覧ホール と一連のバルコニー式書棚である。そして書庫入口には一対のカリアタイド女神像がある。書庫には入らなかったが,写真をみると中央吹抜の鉄骨造4階であ る。(http://www.lib.ynu.ac.jp/ANNAI/KANPOU/20-2/france.html)内部の詳細のある記事の抜粋


ものすごく美しくて機能的。建物自体がアート作品。こんなに素晴らしい閲覧室があるとは知らずに行ったので、衝撃的なくらい感動でした。この空間にいるだけでインテリな気分になります。写真の閲覧室はドアが閉まっていて、窓越しに見学したのですが(写真はhttp://homepage.mac.com/kch_kato/paris/architecture/Labrouste_BNF.htmlより拝借)ここと同じようなつくりの入室可能な閲覧室があって、おじゃましてきました。そこは歴史、美術史の研究者、学生のための予約制閲覧室となっていて、他の分野の学生は登録の上、5回までという制限つきの利用が 許されているとのことで、ちょっと敷居が高い雰囲気。登録カウンターを案内してもらいましたが、お呼びでない感じと、貴重な5回という機会をここで使ってしまっていいものかという考えが頭をよぎり、すごすご退却。

この図書館で催されている話題の展示会をみたあと、中庭で一休みし、すぐ近くのパレロワイヤル公園の木陰で噴水を見ながら読書。A.Sニイルの教育の本を読んでいます。シュタイナーの批判も入っていて、二人の違いがおぼろげながら見えてきたところです。

そんな公園読書もなかなかよかったのだけど、天気がいいといえども結構肌寒く、やっぱりこの豪華な閲覧室を利用すればよかったとちょっと後悔でした。

夕方予約していた日本人の元美容師さんに髪の毛を切ってもらいなかなかいい気分で帰宅。のんびりパリで過ごしたのは実はとても久しぶりで、良い気分転換になりました。


同じくラブルーストによる設計の図書館 http://www-bsg.univ-paris1.fr/home.htm
日本内外の図書館界の最新情報がみられるサイトhttp://current.ndl.go.jp/ca1339

http://homepage.mac.com/kch_kato/paris/architecture/Labrouste_BNF.html
写真はこちらのサイトから使わせていただきました。

2009年4月18日土曜日

ヴェルサイユ中央図書館




昨日急に仕事がキャンセルになり、すごく久しぶりに平日に自由時間がとれました。大学のレポートを進めるために、以前から行ってみたかったヴェルサイユの中央図書館に行ってきました。


ヴェルサイユのすべての図書館が調べられるサイト
http://www.bibliotheques.versailles.fr/Statique/pages/presentation-reseau/sites/centrale.htm

ヴェルサイユで一番大きな図書館で、18世紀に外務省として使われてい立派な建物の中にあります。正面に宮殿をみて左手に3分ほど歩いたところにあります。ルイ14世の時代からの古い建物が並ぶ通りで、そこを歩くだけでも良い気分です。


写真でも少し感じられると思うのですが、ちょっとした展示などもあり、博物館のような趣がありました。木製の図書目録、閲覧の木製のテーブルと藤張りの木製いすがすごくいい雰囲気。こんなところで勉強できるなんてかなり素敵です。

閉館時にはヴィヴァルディかなにかのクラシック音楽が鳴り響き、宮殿で勉強しているような優雅な気分で図書館を後にしました。


古いヴェルサイユ通り

18時で図書館がしまってしまったので、だいたいのお店の閉まる19時まで近くの rue du vieux versailles (古いヴェルサイユ通り)を散歩しました。

この通り、初めて歩いたときから、すごく気に入っているのです。一見なんともない寂しい通りなのですが、古着店、洋服のお直し屋、靴の修理屋、アンティーク家具、デコレーション用タイルの店、ステンドグラスの工房兼お店、子どもの本専門店、子どもの洋服と子ども雑貨のお店(お店オリジナルの服と、とても良い状態のかわいい古着)などなど、ちょっとレトロ、でも素敵、な感じのお店がひっそりとした通りに次々に並んでいるのです。新しいお店も少しはあるのですが、どのお店も時代に置き去りにされたようなこの通りになぜかよくあっています。

彫塑のアトリエでは窓越しに並んでいる生徒たちの作品をみて、粘土もやってみたいなぁ、夏のスタージュに参加してみようかなと思ったり、子どもの本の専門店では大好きなモーリス・センダックの古い絵本がフランの値段で売られているのを発見して、ひとりでうれしくなったり、そんななんでもないことを久しぶりに愉しんでいる自分をみつけたりしました。


季節とともに

先々週から来ている小さなピンク色のメリーゴーラウンドが並木道にまだあったのを確認して、バス停に向かう途中に先日知り合ったばかりのお母さんにばったり遭遇。実は出かける前にお電話していたのですが、まさか会えるとはおもわなかったのでうれしい偶然に感謝。最近ヴェルサイユで文庫を初めた日本人の方で、なんだかこれから素敵なことが起こりそうな予感。

季節の変わり目には、人生がこうしていろいろな人の営みともに動いているのを確認できるような気がします。木々の芽吹きとともに人間の活動も彩を取り戻したのを感じた午後でした。

2009年4月17日金曜日

映画

白黒はっきりしていない複眼的な作品が好きです。
最近見た3作品は、どれもまさにそういう感じで好きです。
一見は全く感じの異なる映画ですが、テーマは通じるものがあります。

Ponyo sur la falaise



日本ではすでに人気のポニョ。仏では4月8日に公開がはじまったばかり。仏語字幕版。日本語の映画はとても久しぶり。ほうけていても全部完璧に理解できるってなんて楽なんだろう。

内容には隠された意味がいろいろあるといわれているみたいですが、映画館ではそういうのはそこそこに、その世界に浸って楽しむのがいいなと思いま す。作品の裏を知るのって、そこから深いところまで考えることができればとてもいいけれど、そこでとまってしまうだけではほんとうにただそれだけ。「本当 は怖いグリム童話」的な「ダークな裏切り」とだけ捕らえる受け止め方をする今の傾向はずっとひっかかっているところですが、ファンタジーとは行きて返りし 物語、もともと基本的にあの世とこの世を行って帰る構造になっています。なぜそうなのか?そんな風にファンタジーの意味を考えられるようになったらいいけ れど、どうもまだその周辺にいて、本当の入り口を探しあぐねているように感じます。


ハロルド&モード



70年代初頭のアメリカ映画。忘れ去られた名作。日本ではなぜか廃盤。日本は物があふれていて、何でもあるようだけれど、こういう本当にいいもの がみつけられなかったりするのが残念。あまり難しい話でもないのででフランス語でDVDを買うことにします。今もST MICHELのCHAMPOという 映画館で見られます。ハリウッドのイメージが強いアメリカ映画だけれど、これは全く別の種類。生と死、物質主義への懐疑、自由、など深い内容がぎゅっと凝 縮されていてしかもユーモアもあってかなり笑える。ラストもすごくいい。ほんとにいい。



トウキョウソナタ


ポニョにつづいてこれも日本映画。リストラされた普通のサラリーマン社会から転がり落ちる様が実にリアル。一度こぼれおちたら、やり直しが利かない。そういう人生の困窮した場面でそれでもなんとかくぐり抜けようという人と、そこで死しか選べない人が出てきます。

日本の教育会では「生きる力」ブームですが、「生きる力」とはそういう困難にぶつかったときにまっすぐ向き合い、柔軟に乗り越えていける力だと思っています。「ゆとり教育」のときのように、理念と言葉だけが現実から浮き上がってしまうことのないように、と願わずにいられないし、なにか自分ができることを、ほんのささいなことでも形にしていきたいと思います。

それはそうと、夜9時半からの上映なのに、結構なお年のご婦人二人組がちらほらと。ウキウキ愉しそうだけど、家でご主人と夜ご飯食べなくていいん だろうか?とかつい心配になってしまいます。いくつになっても家庭にしばられず、自分の人生楽しんでしまうところがなんともフランス的。フランスでは失業率が日本より高く13パーセント、CDIといういわゆる終身雇用の形態での就職はとても難しい状況。移民問題、家族関係の複雑化などもあって、状況は全く同じわけではないけれど、シンクロするところもあります。死を選んだ人、(選ぶしかなかった人)について、彼女たちの目にいったいどのように見えたのだろうと気になりました。


ブロカント

あたたかくなってきて、大好きなブロカントの季節になりました。
掘り出し物をみつけにあちこち出かけたいと思っています。

今週は金曜、土曜と18区で大きなブロカントがたつらしいです。

ここでみつけました↓

フランス中のブロカントとヴィド・ガルニエの情報が検索できるサイト(仏語)
http://vide-greniers.org/agendaRegion.php?region=22

2009年4月10日金曜日

イースター休暇



フランス、パリ近郊の公の学校は今週末からイースター休暇になります。フランス語では復活祭はPâqueです。今年は4月12日、復活祭の翌日は祝日で仕事は普通お休みです。復活祭が日本人の感覚では金曜に学校が終わって、土曜日から休み、ですが、フランス人の感覚なのか、フランスではおたよりや掲示板には学校が終わった瞬間、つまり金曜の夜から、と書かれることがよくあるので慣れるまではちょっとややこしいです。地域によってZONE A とか Bとかが決まっていて、期間に多少の差があったりします。

私の見ている子どもも、木曜日にイースター(復活祭)にちなんだ作品を幼稚園から持ち帰ってきました。かごの中には卵形のチョコレートやひよこ形のあめが入っています。私は子どもにチョコレートをあげるのは好きではないし、日本ではクッキーにチョコチップを入れるのですらご法度な幼稚園に勤めていたので、既製品のお菓子を子どもに配るなんてちょっとびっくりですが、フランスの普通の幼稚園ではおやつにチョコレート、というのは何の抵抗もないようです。私はもっと素朴な感じのものが好きだなぁ。
親受けを考えて、工作物の見栄えをよくするためなのでしょうか、派手な色使いもいつも気になってしまいます

主の復活を祝うイースターは、実はクリスマス以上に意味のあるキリスト教最大の行事です。卵は命の象徴で、イースター付近にはたくさんの卵型のチョコレートがパン屋さんやスーパーに並びます。とはいえ日本のクリスマスのように、まじめにお祝いする家庭はあまりないようです。イースターといえば、かわいいショコラとバカンス、といった風です。


イースターの日程の決め方はなかなか複雑で、毎年変わります。これが日本でイースターがなじまない理由のひとつだという意見を聞いたことがありますが、どうなんでしょう。


復活祭(イースター)の日程の決め方

(1) まず、春分を計算の基点にします。

(2) その春分の後の最初の満月を探します。

(3) その満月の後の最初の日曜日が復活祭になります。

(4) 復活祭の前40日間を四旬節といいます。これはキリストが荒野で断食をした40日間になぞらえたもので、この間は肉食を絶ちます。

(5) 四旬節が始まる日(水曜日になります)を「灰の水曜日」といい、その前の数日間を謝肉祭(カーニバル)といって、大騒ぎをします。

※春分の日程は時差の関係で国によって違ってしまいます。そのため各国ごとにこの計算をすると、国によって復活祭の日取りが1月違ってしまう場合が出てきます。それも不都合なので、世界中のキリスト教徒が一緒にお祝いできるように、春分は教会では3月21日に固定で計算することになっています。


ヨーロッパ各地で行われる春のカーニバルも、謝肉祭といって、この暦によっているんですね。

私はどうもこの頻繁にやってくるフランスのバカンスのリズムに慣れなくて、いつも直前までどうすごそうかと悩んでしまいます。学校もアトリエもお休みになるので、秋以降のお仕事について考えたり、学校の課題に手をつけたり、バカンス終了と同時に出かけるスペインへの旅の予習などしようと思っています。

2009年4月5日日曜日

ソー公園

ソー公園といえばお花見です。


土曜日、お花見をしにパリ郊外ソー公園に行きました。ヴェルサイユ宮殿やパリのチュイルリー庭園を手がけ、フランス式庭園の様式を完成させたアンドレ・ル・ノートル設計で、200ヘクタールもの広さ。桜の木がたくさん植えられているので日本人のお花見名所となっています。実は花はまだほとんど咲いていなかったのですが、公園子どもむけのアトラクションがすごくよかったので写真を紹介します。

もっとも目を引くのがこの小さな気球のメリーゴーラウンド。雲は木のパネルに手書きでペイントしたものでした。手作り感いっぱいです。

近づいてみるとなんと手動。中央の支柱にとりつけてある輪をお兄さんが手でまわしてくれます。昔公園によく見かけた地球儀型の回転遊具のようなごく単純なしくみのようです。籠には梯子で上ります。お兄さんや保護者が手伝わないとむずかしいので、自然とスキンシップが生まれます。機械と人間のバランスはこのくらいがちょうどいいと思います。

メリーゴーラウンドに欠かせないノスタルジックなバックミュージックはなんと生演奏。実ははこれ以上ないくらいに贅沢なアナログメリーゴーラウンドだったのでした。ものすごく人件費がかかりそうですが、多分好きな方がほぼボランティアでやっているのでしょう。こどものためにこういうことをしてくれる粋な大人がフランスにはまだまだたくさんいるようです。大人のほうが楽しんでいる感じすらありました。

これは海のモニュメントの上に銅線がめぐらされていて、子どもたちは輪になった銅線にもち手がついているものを渡されます。もち手の銅線とルートになっている銅線が触れたら負け。銅線が少しでも触れると灯台に豆電球の明かりがつくようになっています。全部手作りで、夏休みの自由研究みたいでした。


フランス人にとっても、結構珍しいアナログぶりらしく、子どもと並んでいるご婦人方も珍しそうに眺めていました。

これもアトラクションのひとつ。「バケツ運び。」罰ゲームにしかみえませんが、子どもたちは面白がって挑戦していました。小さい子用に小さめバケツとバトンのセットもありました。結構難しいようです。

昔はみんなこういうもので遊んだのでしょう。自分の集中力、筋肉を楽しみながら鍛えることになっていたんですね。

読んだらクリックお願いします!

にほんブログ村 大学生日記ブログ 修士課程大学院生へにほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ

最近の記事