2008年12月29日月曜日

一時帰国

今、日本に帰ってきています。


2週間、しかも年末年始なので、家族や親戚に会って少しのんびりとお正月をすごせればいいかなと思っていましたが、忘年会などの集まりで古くからの友人達にも逢うことができました。

ここが戻ってくる場所なのに、まだ完全に帰ってきたわけではなく、どこかのんびりしきれないところがあり、一時帰国はいつもまるで夢をみているような不思議な感じがします。

2週間、しかも年末年始なので、家族や親戚に会って少しのんびりとお正月をすごせればいいかなと思っていましたが、忘年会などの集まりで古くからの友人達にも逢うことができました。

2008年12月1日月曜日

「待つ」ということ


では、「待つ」ことを考えて見ます。

本当に「待つ」ということを私たち日本人は日頃ほとんどしていないのではと思います。

銀行の受付もいまや携帯で混雑具合を確認できます。真夜中に電球がきれればコンビにで手に入ります。アトラクションに列ができればファストパスが考案されます。高速にはECTがあります。

便利で快適なサービスや、仕事の効率化、システム化により、私たちは「待つ」という場面はことをずいぶんしなくてすむようになりました。

「待つ」ということは多くの場合「無駄な時間」であり、できる限り待ち時間を減らすことがよいこと、と普段私たちは思っています。

とくにフランスに来て日本は待つことを極力排除したい傾向があることを強く感じます。


そしてそれに慣れてしまった今、「すべてのことは効率化、簡略化できる。するべきだ」というような思考の傾向がないでしょうか?

本当にすべての事柄は効率化、簡略化できるのでしょうか?
果たしてそれはすべての場合において、私たちにとって本当の意味で
良いことなのでしょうか?

次に、子育てにおいての「待つ」ことについて考えて見ます。


保育の世界において「待つ」ということは大変重要なキーワードです。

何が大切って「子どもの育ち」を待つ大人の姿勢がとても重要と思っています。

たとえば、字が読めない子どもに、早く文字を覚えさせようとするとどうなるでしょう。

子どもはスポンジのように何でも吸収しますから、子どもの本質がそれを望んでいないとしても、覚えさせればどんどん吸収し、自分で本を読み始める時期が早まります。

けれども字の読めない時期というのも大変意味のある時期です。文字を読める前と後では世界のありかたがまったく変わってしまうと思うのです。一度字を読むことを覚えたらもう知らない時期には2度と戻ることはできません。その時々にしか経験できないことをたっぷり経験して次のステージに行くことが必要です。

子どもが読むことを覚えるのに適した時期に育つまで、待つことが大事です。


「すべてのことは効率化、簡略化できる。するべきだ。」というような思考は単に
多くの国で採用されている資本主義をうまく保っていくために必要な考え方で、
いかに効率よく仕事をして稼ぐか、というようなことにつながる考え方ではないでしょうか。経済を育てることに掛けては理にかなった考えかたかもしれません。 

しかし、こと人間を育てることに関してはこれはまったく通用しません。
子育ては簡略化などできません。忍耐強く待つということが必要です。
これが、今、難しいのです。でも、子育てにかんしては、むしろ回り道の多いほうが育てる側にとっても実り多いものになるのです。

子どもは手塩にかけて育てるものです。

日本で購読していた育児関係の小冊子に書かれていたコラムを思い出します。
そこにはこんなことが書かれていました。

子どもが親を困らせる量は生涯を通して一定である。という法則です。
簡単に言ってしまうと、幼いころの子育てで「楽」をする、つまり簡略化、効率化するとその「つけ」は後になってやってくる、ということです。

詳しくは、
次のエントリーで取り上げます。

写真:アトリエ近くのモンマルトル墓地の通り

2008年11月30日日曜日

クリスマスの本当の意味


11月


フランスのショーウィンドーがめっきりクリスマスらしくなってきました。
クリスマスが近づくにに当たってここでクリスマスの本当の意味を取り上げます。


クリスマス当日、イエス・キリストの誕生までの4週間をキリスト教では待降節(アドヴェントもしくはアドベント)と呼びます。つまりイエスの降臨を待つ期間です。それぞれの教会(ここでは特に私の知っているのはプロテスタント教会について書いています)によって異なりますが、通常この期間、礼拝時に常緑樹を土台にしたリースにろうそくを4本立てたものが説教台のあたりに置かれ、毎週一本ずつろうそくにイエス様のあかりがともされ、ろうそくのあかりのなかでアドヴェント・イエス誕生にちなんだ賛美歌が賛美されます。教会に足を運んだことが一度もなくてもデパートなどでこれらいくつかの賛美歌を耳にしたことはきっとあるはずです。そして、これも教会の定めるクリスマス礼拝の日程のとり方にもよりますが、4本目のろうそくにあかりがともったらクリスマス礼拝をまもります。これら礼拝をまもり、イエスの誕生を待ち望み、家庭でも静かな祈りのときをもつというのが本当のクリスマスの迎え方です。クリスマスツリーに飾りをこしらえるのもこの待ち望むという行為のひとつとして私は捉えています。

ですから、このアドヴェントというのはまさに「待つ」時です。
そして、私はクリスマス当日と同じくらい大切な期間と捕らえています。

クリスマスに「待つ」ということを考えるのはクリスマスの本当の意味にかなったことなのです。

写真) 去年のクリスマス時期のシャンゼリゼ大通りの様子

2008年11月11日火曜日

こどものあゆみ 10月



私がシッターしている子どもたちの今月のあゆみと観察とこれからの課題を簡単に書いてみます。

トマ 3歳
テオ 5歳
(ともに仮名)

2人とも男の子 フランス人

あゆみ  (できるようになったこと)

1、 2人とも家に着くとまず第一に手を洗うこと

これまでの観察によると、帰宅後、食事前、フランス人は手を洗う習慣が無いように思われる。レストランでは最初のお絞りは皆無で、食事の前にだれも手を洗わないけれど、毎日家に帰るとおやつをいただくことにしているので、まずは手洗いを習慣化。

2、 風呂場に飛び散ったお湯を自分で拭くこと

シャワーカーテンがバスタブ、しかも日本のと比べて浅いので、みずでっぽうやらバケツやらで水遊びしながらのお風呂はダイナミックな男の子が2人もいっぺんに入るとかなり大変なことになります。


3、靴下をくっつけてから洗濯かごに入れること

これはお兄ちゃんのテオが不器用ながらもなんとかできるようになりました。
この家庭では片方だけ行方不明にならないように洗濯かごに入れる前は靴下を両方くるんとあわせてとめておくことにしているのです。


課題

といっても私がかってに課題にしているもので、母親から私がお願いされているのではありません。あくまで私がこれはこの子たちの課題だな、と思ったものを取り上げます。

1、家に着いたらコートとマフラー、通園かばんを所定の位置に置くこと。
 
今は床に落ちているコートとマフラーとかばんをたどっていくと子どもにたどり着けるような感じです。


2、セーターを一人で脱ぐこと。

「一人で脱いでごらん」というだけでは子どもはどうやって脱ぐのかわからないのですよね。明らかにそれじゃ無理だろう、という格好で無謀に頭から脱ごうとしているのを見ると本当にそう思います。片方の腕、もう片方の腕、と抜いて、最後に頭を抜く、という順で脱ぐとやりやすいことを実践しながら伝えてきました。おかげで、その順番を思い出してやってみようとするようになっていますが、まだはじめに無謀なやりかたで脱ごうとしたり、面倒くさがってはなっから脱がせてもらおうとしたりして、まだ定着していません。普段はお母さんがぬがしてあげている感じがします。テオはかなりいい線をいっていますが、セーターの腕の部分がするっと抜けるような腕の曲げ方がつかめていません。これって学ばないと習得できないのですねぇ。モンテッソーリ教育的なの方法では、私がゆっくりとその様子を子どもの前で実演してみせる、というのが有効ということで、これは、そうだろうとは思いますが、この子たちは私がセーターを脱いでいる間にほかの部屋に遊びにいってしまいそう。でもやってみる価値はあるかな。


3、 上の方のボタンの着脱

この2人のいいところはやる気は結構あるところ。大変そうなときに手を差し伸べようとすると、自分でやるから、と断ることがあります。これはそのまま見守っておけばもうすぐできるようになりそうです。


よくわからないこと

1、 みかんの皮がむけない

チョコレートの乗ったビスケットやバターたっぷりのケーキなどがいつもおいてあり、よく食べているのですが、私は子どもにチョコや脂っこいあま~いお菓子を望むだけ与えることをあんまり好ましいこととは思っていません。この間はお菓子もっとちょうだい!というのでみかんにしたら?と提案したんですが、
2人ともみかんの皮が全くむけなかった。前のお家の日仏ハーフの子どもたちもできなかったので、まあ経験がないからだろうと思ったのですが、こんなことはやらせればすぐにできるようになるのでまあいいとします。

びっくりしたのは、2人がその後、そのみかんをお皿に載せて、フォークとナイフを自分で持ってきてそのみかんを食べようとしたこと。フォークとナイフはただでさえまだあんまり上手に使えないので、みかんの果汁があっちこっちに飛び跳ねてしまって、薄皮ばっかりお皿にのこるようなひどい有様で、ちょっとした軽い提案としてみかんを食べようといったものの、洗い物は増えるは壁も床も拭かなくてはいけないわ、手はべたべたになるわ、ややこしいことになってしまいました。そこで浮かんだ私の疑問。フランス人はみかんを手で食べないのだろうか、、、、、?  もしかして、オレンジとまちがったのか? この子たちはみかんとオレンジの違いをわかっていない可能性がかなり高いのでそうかもしれない。オレンジならナイフで切ることもあるから。。。。 いろいろ考えてしまった私ですが、こどもたちは手がみかんのいい匂いになったといってひたすら喜んでおりました。

トマの災難

振り返ってみると弟のトマは先月は10月はじめにベッドから飛び降りて鎖骨を折ったのからはじまり、風邪を引く、水疱瘡になる、といった具合にハプニングが次から次におこり、とても忙しい人でした。
最近は3日くらい便秘がちで、「うんち でろよーっ!!」と泣き叫びながら格闘していました。私ができるのはせいぜいおなかのマッサージと励ましの言葉を掛けること。野菜をたくさん食べるようにアドバイスもしましたが、彼はフルーツと野菜をほとんど採らないのでこれは起こるべくしておきた災いでした。

2008年11月6日木曜日

トゥルヴィルへ






先週末、トゥルヴィルへ行ってきました。

ポスター画家で有名なサヴィニャックが1979年に移り住んだのがこの町。
彼の実家はパリのビストロで、根っからのパリジャンらしいです。

いたるところに彼の絵が見つけられるかわいらしい町ということで、友達にすすめられて、月末の一泊旅行の地に選びました。

パリからはサンラザール駅から特急で2時間ほどです。

駅を降りて左手は映画「男と女」の舞台となったドーヴィルという町で、知識人たちのリゾート地だったところです。高級保養地として夏場はにぎわうらしいです。

私はトゥルヴィルのほうが目的ですが、せっかく異なる雰囲気の町が隣り合わせになっているのでどちらも見て回りました。雨との予報だったのに、一日目は一滴もふらず、おかげで海岸沿いや桟橋も自転車で一通り見て回ることができました。完璧な防寒対策をしていって本当に助かりました。自転車は自分のを持っていきましたが、現地で貸し自転車やさんもありました。自転車は観光にはとても便利。色々なところに短時間で行けるので、5倍くらい楽しめた気がします。

モネが5歳のときに家族と住んでいたルアーブルまでも一時間ほどだそうで、時間がゆるせば訪れたかったのですが、二日目もゆっくりトゥルヴィィルの町を歩き、サビニャックの壁画と海の幸の食べられるレストランを求めてのんびりすごしました。夕食は近くのスーパーで買ってホテルですませたので、二日目の朝食は外食。DUPONというお菓子やさん併設のサロン・ド・テでしっかり食べました。人気のお店のようで、常にほぼ満席でした。

Musée de Trouville “Villa Montebello” 【ヴィラ・モンテベロ美術館】

64, rue du Gal Leclerc 14360 Trouville sur Mer
Tel : 02 31 88 16 26
開館時間 : 3/25〜5/28、6/24〜9/24 14:00〜17:30、6/15〜9/15 〜18:30
閉館日 : 火
入場料 : 2ユーロ、水曜無料

参考サイト 日本語
http://www.hayakoo.com/trouville_sur_mer/

2008年11月3日月曜日

シュタイナー関連絵本 オンライン購入情報

シュタイナー関連の絵本に関するサイトを見つけ次第、
このエントリーに追加していくことにします。

フランス語の絵本であっても、絵を見るだけでもなんとなくストーリーが想像できるものが多いし、絵を眺めるだけでも十分に楽しいと思うので紹介していきます。


■http://www.bio-dynamie.org/index.htm から入ってBoutique Internet
もしくは絵本のページ http://biodynamie-boutique.bio-dynamie.org/index.php?cPath=37

バイオダイナミック農法のサイトです。

■pentagram
http://www.pentagram-paris.com/

私が画材を購入しているパリのシュタイナー専門店です。シュトックマー社のクレヨンや絵の具、フェルトの人形や各種書籍、絵本、木のおもちゃなどd
小さい店内ですが、見ごたえたっぷりでついつい長居してしまいます。


2008年11月1日土曜日

地下鉄の中で親子観察

地下鉄で私の前の席に2歳半か3歳くらいの女の子が座りました。電車はかなり込んでいて、お母さんは座れず、少しはなれたところから子どもたちを見ていました。
私が先に降りるまで約15分間のことを書いてみます。


最初の2駅くらいは静かにすわっている女の子。おにいちゃんに「ちゃんとすわれているね」、といわれて得意になっている。

3駅目、
退屈になってきたのかきょろきょろあたりを見回したり、お母さんに投げキッスしたりする女の子。
電車が駅に着くと「ついた~!」といってみる。すかさず「NON。まだよ。」とお母さん。

4駅目 
女の子が咳をすると、「手を口に当てなさい。」とお母さん。
電車が駅に着くとやはり「ついた~!」と女の子。「ちがう。まだついてないの。」とお母さん。

5駅目
もぞもぞうごいて、知らぬ間にとなりのおじさんのコートの端を握っている女の子。「となりの男の人にかかっているてをはなしなさい!」とお母さん。そして駅につくとまた「ついた~。」と女の子「まだよ。」とお母さん。

6駅目
もぞもぞ体をくねらす女の子に「ちゃんと座ってなさい」とお母さん。


ここまでが観察したシーンです。


その後も電車が止まるたびに「ついた~。」という女の子にそっけない返事のお母さん。そのうちぐずりだすだろうなあと思いながら私は電車を降りました。

以下このシーンを考察してみます。

たくさんの人が乗っている電車のなかで子どもが騒ぐと迷惑になる、という考えはどこの国でも普通はの感覚としてあるように思います。ものすごくうるさく騒ぐ子どもとそれを全く注意しないお母さんに遭遇したときは、「迷惑ですよ。」といいたいくらいに不快な思いをしたことだってあります。その点では、このお母さんは常識のある、マナーを守ろうとするお母さんだと思います。しかしながら、お気づきのとおり、女の子の集中力は2駅目で完全に切れています。「ついた~。」と毎駅言っていることから、座席に静かに座っているのは退屈で、はやく到着してほしいという思いがみてとれます。お母さんの「まだよ。」という言葉には」「とにかく静かにしていなさい。」というメッセージがこめられていることを感じます。でも子どもにとってはじっとしていることはものすごく大変なことです。2歳半~3歳の子の限界はやはり2駅くらいなものでしょう。

わたしだったら、やむなく子どもと混雑した電車にのらなくてはならない状況自体を避けようと努力しますが、こうなってしまった場合、なにか興味をもちそうなものを女の子に渡してあげることを考えると思います。もし、おもちゃや絵本を持ち合わせていなければ、ハンカチをお人形の形にして渡してあげたり、その場でお話をつくって聞かせたり、なにも無いなりに色々な工夫で子どもが飽きない工夫はできると思います。

2008年10月23日木曜日

追記(主観と客観)



絵画治療としてにじみ絵を描くとき、私は、自分が自分の外の世界から受けた影響を観察することと同時に、「感情を体験し直している」と感じます。これをここでは主観的な行為ととらえています。自分の感情から離れて眺めること、自分の外側の世界が自分の内側に与えた変化(感情)を感じること、どちらも現在の自分を知り、未来に生かすための大事な振り返りだと思っています。

「日常の小さな一つ一つの事々によって自分がどのように変化したか、感じたか、と自分に問う作業」を不機嫌な気分になったときの例にあてはめて具体的にするならば「自分がどんな風に、どのくらい不機嫌になったかを後から意識的に体験し直すこと」です。

たとえば、周囲に過度に影響されて自分の気持ちがよくわからなくなってしまった人、トラウマを乗り越えようと苦しんでいる人は、まず自分の感情を「感じる」ことがまず重要になるのではと考えます。描くことは自分の感情に気づくと同時に、感情を少しずつ放出させる効果があるとおもいます。

2008年10月22日水曜日

主観と客観


今日はアトリエにいってきました。先月はイレギュラーな予定がかさなって、2回しかいけませんでした。今日は先月から3回にわたり描きつづけていた虹の絵が終わって、次の絵に進みました。

このアトリエでにじみ絵を描くということはつまり「主観と客観の目を養うこと」

と先生がいつも言っているのですが、二つの視点をもって描くことの大切さを最近とくに思っています。

色を体験する「私」と向き合うこと、時々筆を置いて、少し絵から離れて観察すること。意識しないで描いていると、そのどちらかに傾きがちです。

「感じている自分」とそれを「外側から眺める自分」を意識すること

それは「思考を意識する」ということと同じことではないかと思います。

たとえば、不機嫌な気分になったとき、不機嫌な自分を外から眺める、という作業は絵を遠くから見ること同じ「客観」の行為で、日常の小さな一つ一つの事々によって自分がどのように変化したか、感じたか、と自分に問う作業は紙を前に筆を動かして自分の内面と向き合うのと同じで「主観」の行為といえます。

つまり、絵を描くことによって「主観」と「客観」が鍛えられた人は、それ以外のすべてのときも、このバランスを意識して過ごすことができるように鍛えられたということができる。

「癒し」はこうした作業の継続により、無意識のうちに自分のなかからうまれるのではないでしょうか。

2008年10月13日月曜日

モンマルトルのワイン収穫祭

10月 2週目の週末 パリの北部、モンマルトルでワイン収穫祭がありました。
モンマルトルにはパリで唯一のワイン畑があり、約1000本のワインがつくられているそうです。
それで、パリのワイン祭りはモンマルトルで行われます。

ワインの試飲、コンサート、パレードなどが行われる、と聞いていました。

去年行き忘れてしまって、今年はぜひ、と思っていたので、とりあえず前日にサイトを探しました。

毎年テーマがあるらしく、ことしは「ワインとシネマ」ということで、土曜日は夜9時からスタジオ28というモンマルトルの映画館で、モンマルトルにちなんだ映画の上映が予定されていました。

映画は時間が遅いのであきらめて、とりあえず行けばなにかあるだろう、ということで友人をさそって、とにかくサクレクール寺院をめざしました。

モンマルトルは女の子好みの雑貨やさん、洋服店、かわいらしいカフェがならぶ一帯があって、散歩がてらのんびり散策し、当初の予定を忘れてしまいそうなくらいでした。

到着してみると、寺院の周りにたくさんのテントが並んでいました。日本のビッグサイトのようなところで行われる農業見本市の野外版といった感じで、フランスのさまざまな地方のワインだったり、サラミだったり、いろいろな農産物を味見しながら購入できるようになっていました。サクレクールは高台にあるので、パリを一望しながらワインやシャンパンをグラスで飲めます。室内よりも開放感があってよかったです。

普段、パリは電車の乗り換えをするために通り過ぎるだけなので、久しぶりにパリらしい町でゆっくり過ごすことができていい休日になりました。天気もよく気温も高かったこと、なにより歩きながらのシャンパンがよい気分にさせてくれたのはいうまでもありません。

2008年10月12日日曜日

パリ大学の授業 3


1、2と続いて、自分のための記録として大学の授業の印象と評価方法をまとめておくことにしました。


今週の授業  つづき

水曜日 

「乳幼児心理学」 

      
ブラジル、ポーランド、フランスで幼児教育、教育心理学に携わってきた女性の教授
授業はアンリ・ワロン、ピアジェなどの心理学の理論


評価は授業のはじめからおわりまで、継続して、毎回事前の質問に対して作成するポートフォリオ
次の授業は休講。かわりに、公園や子どものいる場所で一時間の行動観察を記録、できれば考察も加える。

授業内容は私がこれまでやってたこと、いつもやっていることとほとんど同じことなので、それで単位がもらえるなんて楽しすぎる。ずっとかかわってきた教育学にしてよかった、と心から思った。ほかの学生の子どもの考察の仕方、教育の考え方も大変興味深い。先生は心理学に通じているだけあって、ものすごく配慮の行き届いた親切な先生。それぞれ自己紹介もして、スイス人でアフリカに慈善事業にかかわっていた学生、フランスでクレッシュコレクティブで働いていた学生、アルジェリアの小学校でおけいこごとのような活動をしていた学生など、教育関連の職業についていた学生も多く、年齢もさまざま。

この大学しかしらないので、「フランスは・・・」とくくってしまうのは早すぎるとは思うけれど、本当に学びたい人が学びにきている感じがする、と日本人のパリ大留学生の友人と意見が一致した。




「美術・思想・教育」

身振り手振り、声の抑揚がものすごく大きく、髪の毛爆発のフランスの美術家っぽい強烈な先生。
ミュージカルと哲学が専門らしい。

授業の内容をプリントとプロジェクターで説明してくれたが、これが本当に幅が広い。
日本で美術と哲学をひとつのコマで教える授業というのはあまり普通ではないと思う。

学生はこれまで受けた授業で一番人数が多く、ほかの学部からの出席も多かった。
外国人に対する配慮などはまったくなさそう。私にはとっつきにくい感じの先生だが、人気の授業らしい。日本では哲学は実際社会では役に立たない、と評価の低い学問分野な印象があるが、音楽と哲学とアートに造詣が深いと、というのはフランスでは教養の高い人、と考えられ、一目置かれる。



今回は20世紀はじめの哲学家のはなしが中心だった。
先生の講義中心のひたすら聞くスタイルの授業。

評価はレポート2つと小テスト2回。


「社会学・教育」

顔が、若くして亡くなった人気ニュースキャスターの逸見さんに似ているこざっぱりした清潔感のある知的な先生。使う言葉がむずかしいのと、ものすごく早口なのに加えて、内容がフランスの学術組織についてだったりして、異文化の外国人学生の私にはかなり理解が難しくくて、授業中電子辞書が手放せなかった。

先生は私の電子辞書をパソコンと思っていたいらしく授業のあと、「君は全部そのパソコンに打ち込んでたみだいだね。」ときかれた。(実際は次から次にでてくるわからない単語を必死に探すので精一杯だった。)私の語学のハンデがわかると、「わからなかったら、何でも質問して。」といってくれた。

単位は関連分野の中で自分の関心事についてのレポートを提出すること、出席が主に評価される。

(上の写真は大学でのランチ。コマとコマの間に休み時間がないので、サンドイッチがのどに詰まらないように急いでたべないといけない。きれいな学食もあるが時間がかかるので、パニーニ、サラダ、サンドイッチなどの軽食で済ませる学生が多いようす。)

2008年10月11日土曜日

パリ大学の授業 2

今週の授業

月曜日 フランス語 oral and ecrit
アンニュイな先生が大変印象的。フランスをかじったひとならば、以下の様子でなんとなく想像していただけるかと思うが、なんというか、フランス、とくにパリを凝縮したような人である。

「じゃあ、そうねぇ、フランスに関することをなんでもいいから話して。ポジティブな話にしてね。フランスで生きるのは簡単じゃないってことはしってるから。」とけだるそうにいう先生の話しぶりにわりと引き気味の外国人学生たち。(外国人学生のためのフランス語の授業なので、フランスにきて数日の学生もいて、ちょっとショッキングだったようだ。私はその中ではわりと年上のほうで、 フランスにも一年以上くらしていて、という状況だったこともあり、とにかくこの先生のかもしだす雰囲気のフランスっぽさが興味深く、面白く思ってしかたな かった。)

アメリカ人の学生が週末にあったnuit blancheというイベントに参加しての印象を沈黙を破って話しはじめた。すると先生、「ほかの人はどう思う?私は、あんまり好きじゃないわ。今朝メトロの13番線のホームに、たくさんセキュリティの人がいたでしょ?nuit blanche の若者たちが、押したか押されたかで、線路に落ちて、地下鉄にひき殺されたのよ。」とコメント。先生が一番ネガティブな発言であった。
ちなみに話ぶりはなんとなく日本の大御所女優を連想させるものがある。たとえば桃井かおりさんとか。

それぞれの自己紹介つづいて、授業の説明。この授業では毎回一人が冒頭にプレゼンテーションをして、それについて話し合う。グループで、テーマをきめて、レポートを作成。セメストルの最後にグループごとの発表をする。それぞれの学生の話のなかの文法の間違いを直す。

今回も後半はグループに分かれて文章をつくったが、先生から指示されたテーマは「フランスに来て驚いたこと」を「詩」にする、という、これまた大変フランス的なものだった。テーマを指示したあと、先生の姿が見えなくて、どこいったのかと思っていたら、戻ってきた先生の机の上にタバコと財布が。机の向かいにもうひとつ椅子を置いて足をのせ、椅子の背によりかかって、つねにどこかシリアスな雰囲気をかもしだす先生。授業よりも、先生のキャラクターに圧倒されどおしの初授業となった。


口述発表については、
「チーズやワインがおいしい、フランスっていいね、というのは絶対やめて。そういうのはだめ。」といっていた。

この授業ではなにより彼女好みのテーマを選べるかどうかが大きな分かれ目となりそうだ。
彼女の好きなことを逃さずメモするため、次の授業も彼女の発言に大注目だ。

2008年10月6日月曜日

子どもと遊びについて



パリ郊外の仏人家庭宅で2人の子どもを見るようになって一ヶ月半がたちました。

シッターという立場なので、いろいろな制約はあるものの、
子どもとの心の距離をちぢめるべく、一緒に思い切り遊ぶ時間はできるだけ毎日確保するようにしていました。

当初、子どもたちだけで遊ぶのが当たり前(フランスの生活は、子どもは子ども、大人は大人、と生活スペースや食事の時間、活動、などをきっちり分けすス タイルが普通なので、保護者はこどもとともに遊ぶことはあまり多くない。幼稚園でも先生は子どもの遊び、けんかにはほとんど介入しないように見える。)だった2 人ですが、今は大好きな「警察ごっこ」と「かくれんぼ」は必ず私を誘って、一緒に遊びたがるようになりました。

ときには憤慨したくなるようなものすごいいたずらな子どもたちですが、遊びを通してすこしはお互いの人間性に触れ合うことができ、心の距離が近づいた、ととらえてもはずれではないかも。と勝手にポジティブに受け止めています。


私がこどもと一緒に遊ぶときは、

子どもと同じ目線で、自分も子どもになったようなつもりで遊ぶこと。

遊びの楽しさを子どもと心から共有すること。もしくは徹底してそのように振舞うこと。

楽しく遊びが続くように支え、遊びを方向づけること。


を特に意識していると思います。

そうするのは、

2つの「」だけで子どもという生き物を定義してしまうのはざっくりしすぎでありますが、

子どもは

「生活者」



「遊びをとおして世界を学ぶ者」


というイメージを、「子ども」を考えるとき、いつも胸においているからです。

それから、「子どもの遊び」については、大人が余暇をつかって好きなことをする、という意味合いの「遊び」とは全く質のことなるもので、

子どもは遊びを通して世界を学ぶ

生活のすべてが子どもにとって遊びの対象


という風に考えています。といっても、これは、私が勝手にそう考えている、というからではなく、児童教育を学ぶ人が子どもについて学ぶときの大変基本的な事柄です。学校で学び、頭で理解し、その後、実際に子どもと生活してみて、やはりそうだ、と確信をもって言えることです。


子どもが遊んでいるのを見るとき、このような視点で観察してみると、子どもが生活のありとあらゆるできごとから、たえず何か心を動かされる事物を見つけ、それが何なのかを知ろうとする、大変学ぶ意欲の旺盛なエネルギッシュな存在であることが見えてきます。

2008年10月5日日曜日

花のある生活

最近、毎週日曜の市場で花を買うのが愉しみになっています。フランスのお店は日曜はお休みなので、市場好きのわたしにとっては日曜日の大きな楽しみの一つです。予定が無い日は午前中は市場で買い物が日課です。

新鮮な野菜やお魚を売る市場は活気に溢れていて、市場の雰囲気を楽しむのも目的。
迫力ある売り場のおじさんたちとのコミュニケーションも市場ならではです。

よく利用する市場の花屋さんの様子。

咲ききってしまっているものが多いからか、カラフルな花の小さなブーケがなんとひとつ3ユーロ(500円くらい)で買えます。日本は花束は特別な日に買う ものという雰囲気がありますが、フランスではもっと気軽に切り花を楽しんでいます。特別でない毎日を楽しむのに、これはものすごくいい効果があります。植 物のエネルギーの力はすごいです。花を買うという行為自体が心のゆとりにつながっています。





それぞれの花束とともにあった生活を思い出しながら、ここ一ヶ月の花束の写真をみてみます。


ひまわりのパワーはすごいです。9月を過ぎて太陽がどんどん少なくなってきて、すがるようにひまわりを飾り、太陽の力をずいぶんもらいました。ホメオパシーみたいな効果があるとおもいます。



先週の花束。真っ赤なバラも素敵ですが、私にはちょっときつくて、こういううすいピンク八重咲きのバラの華やかだけれどやさしそうなふんわりした雰囲気が好きです。心に共鳴するものを感じてつい見つめてしまいます。買ったときにすでに花が終わりかけていたのですぐに散ってしまったけれど、売り子のおねえさんが一束おまけしてくれました。




今日は3種類好きな花を選んで花束にしてもらいました。きりっとしていてほかの緑によく合う青いアザミと飾らない緑、清楚な白の組み合わせは大好きです。今週はこの花束とどんな毎日を送ることになるのでしょうか。

パリ大学の授業 1


今週土曜日に大学の最初の授業が始まった。(写真はほかの方のブログからお借りしました。)


私の通うパリ8大学はパリの北部郊外サン・ドニにある総合大学。教育学部は3年生だけで、社会学の3年目が教育学部という位置づけになっている。私は日本の児童教育学の単位が認められたので、いきなり3年生だ。日本の大学3・4年生にあたり、最短一年で学士に相当する学位が認められる。

私がこれまで何度か学校に足を運んで思うには、ものすごくリベラルな雰囲気と立派な図書館が特徴だ。サン・ドニというと、移民が多くすんでいる貧しい地区で、治安が大変悪い地域という印象があるが、駅をおりてすぐに大学があり、これまで怖い思いをしたことは無い。

土曜2回の大学での講義と平日の夜6回のネット上での討論会に出席することで単位がもらえる土曜授業が今年だか去年からだか始まったらしく、そのひとつが今週の土曜から始まったというわけ。

フランスの大学はどんな感じなのか、好奇心と不安ででいっぱいだったけれど、
どの先生もとても感じがよくて大変気さくだった。午前中のオリエンテーションの時間は
秘書の先生が単位の取り方、計算の仕方をしおりにそってわかりやすく説明、その後、基礎講座の各分野の教授が授業の内容について話してくれた。

フランスの学生は引っ込んだ性格の人や、恥ずかしがりやの人がいないのか、話を聞きながらどんな小さなことでもわからないことはどんどん質問する。先生もジョークを交えて答えたりして偉そうに振舞うことが全くないところがいい。

2008年10月2日木曜日

シャルトルの大聖堂と町並み

この週末はシャルトルへいってきました。町の入り口はこんな感じ。壊された城壁、橋の一部が残されています。


木でしましまに見えるお家は16世紀初期の建物です。これはクレープ屋さん。窓が淡い色のステンドグラスになっていて実にかわいい。




城壁のように町を取り囲む川。
シャルトルの大聖堂の外観。近くからだと大きすぎて写真に写りきりません。
お天気はよく、テラスでお茶をする人がうれしそうです。
パン屋さんの看板。
ゴシック建築の大聖堂とは対照的に意外とかわいらしい町並み。観光用のルートの一部を歩きました。
大聖堂付近は観光客を意識したようなおもちゃやさんやアンティークショップがあって、ちょっとしたショッピングも楽しめます。

大聖堂のステンドグラスに感動して外へでると、ステンドグラスを取り扱うショップが観光客をまっています。レジの前の小さなステンドグラスのチャームはひとつ31ユーロ。


  大聖堂の近くの市場で蚤の市があったので覗いてきました。パリの蚤の市よりもいいものがお得でした。いいものといっても、古いぬいぐるみ、エッフェル塔、アンティークの食器などが好きな人にとってのいいものです。私はフランスらしいお土産ならこういうところで見つけるのがいちばんだと思っていますこげ茶のティーポットを購入。うちの紅茶は基本的にティーバッグなので主に緑茶や番茶などの日本茶に使います。


小さい町なので1時間ほどで観光は終了しました。車で片道1時間半くらいでした。子どもといって楽しめる度数は65点くらいです。また、この近くにはピカシェットの家があります。いつか行ってみたいです。


パリから車で行く場合には帰りは高速に乗らないほうが早く帰れそうです。

2008年9月25日木曜日

ここ最近の出来事 箇条書き日記

フランスは9月から新学期。それにあわせて私も今月から新たな生活が始まりました。

今月はあたらしい家庭のシッター、10月からは学校が始まります。来月からは授業と仕事とフランス語を両立しないといけないので、今月は仕事とフランス語メインの月でした。

仕事は今度もシッターです。全く日本にゆかりのない普通のフランス人家庭。日仏家庭だとどうしても日本語を話すことになってしまうので、自分で希望してフランス人家庭を探しました。語学を学ぶには最適な環境です。

それから来月から学校に通うことを想定した生活リズムをつくることも意識していました。フランス語はメインの目標というほど意識していませんでしたが、今月はわりとモチベーションが高く、バカンスに持っていかなかった単語帳を再びはじめました。それから2週目あたりからi pod の偉大さに気づき、ほぼ平日毎日3時間くらいフランス語を聞いていました。ただ聞き流すだけですが、時間だけは相当長いです。(とにかくたくさん聞いて耳慣れることが大事だと最近読んだ語学習得のサイトで書いてあったので、それにかなり影響されました。)

夏の間ごぶさたしていた友達に会ったり新しい友達をつくったりすること、友達、人とのコミュニケーションを積極的に図ることも意識していました。知り合いのフェットやピクニックに参加したり、知人を介してフランス人と日本映画を見にいったり、ディナーをしたりと結構体力的につらくもありましたが、私にしてはとてもアクティブでした。後半はなじみの友達のディナーに行って、またフランス生活がはじまった、という感じがいっそう強まりました。

ふとカレンダーを見ればもう月末。振り返ると、大体のところいい感じの歩みであったと思いますが、来月のことを考えるともっとフランス語をやるべきな気がしています。

書ききれなかったこまごまのエピソードを箇条書きにしたまとめ。

■朝起きたらそこは「中世」

というほど大げさではなかったのですが、寝ぼけまなこで朝食を準備しているとなにやらにぎやかなパレードの音が聞こえてきました。窓から見てみると中世の衣装に身を包んだ人たちと馬車などの行列が道路を練り歩いていきました。9月始めの週末のことです。

■早くも冬がやってきた

3 日くらい前のことです。近所のcafeの外の席にに暖房が置かれているのを発見しました。夏が終わったらとたんに冬なんだなぁと実感。あとはどんどん日が短くなるばかりと思うと去年の長く寒い冬を思い出しナーバスになってしまいます。「フランスの冬を楽しもう」プロジェクトでも考えないと。とりあえず鍋かな。


■テリアのお散歩の謎

今日はじめてふと不思議に思ったのですが、いつも仕事に出かける前と後(その間約4 時間)で同じところを散歩しているおばさんが気になります。犬の散歩屋なのか、いつも犬を4匹散歩させています。犬は黒のスコッティッシュテリア一匹と雑種らしきテリア3匹で、すべて足取りヨタヨタの老犬。ものすごく動きがゆっくりで愛嬌のある表情をしていて見るたびに癒されるけれど、さすがに4時間おきに散歩しなくてもいいだろうと思う。犬中心に生きているご婦人なのか、この方の生業なのか・・・。

■私の火山に薪をくべる人

今週ずっと私をしょげさせている言葉、それはシッターをしているマリンちゃんのお父さんの一言。マリンが幼稚園で作った小麦粉粘土の作品をみて「それは何だ?!捨てなさい!」って・・・。ポロポロに崩れてはいたけれど、いくらなんでもそれは無い。「それは何だ」って何だ?!マリンの自信作「苺のタルト」です!!お父さんに見せようともって何度も落っことしながら苦労してもって帰ってきたのに・・・。フランス語で上手に説明できなかったのが悔やまれます。でも次回同じことがあったら確実に噴火します。


■フランス語強化期間

移動時間が長いので、毎日i podが大活躍。大学の授業に備えて主にフランス語を聞くことにしています。目標は授業がはじまる10月の頭まで、毎日5時間フランス語を聞くこと。それから単語帳を開くことも。



■最近思うこと

「今に満ち足りること」です。
自分の幸福は人と比べても仕方ありません。

2008年9月24日水曜日

人智学協会の公開講座(パリ)の紹介&お誘い


シュタイナー関係のエントリーです。

パリ6区のフランスアントロポゾフィ協会では毎週土曜日に
協会主催の公開講座が開かれています。


さまざまな分野の博士が講師としてよばれます。フランスはシュタイナー関連はあまり盛んではないので、たいてい、ドイツやスイス、オランダで学んだフランス人、もしくは近隣諸国の方がほとんどです。

参加者はシュタイナーに関心のある、パリ市民や、フランスの人智学協会の会員の方々です。ときどき高校生くらいの子もいましたが、なぜかみたところほとんどの方が40歳以上と思われ、かなり平均年齢が高い印象がありました。


事前予約等は必要なく希望者はだれでも参加できます。

参加費については 学生は5ユーロ、一般は7ユーロ~10ユーロ だったと思います。
これは破格の料金だと思います。

講座はフランス語です。(英語やドイツ語、オランダ語が話せる講師もときどき)

手元にあるパンフレットにある年内までの講座の予定を日本語にしてみました。


9月

20日 心、器官 (プロジェクター上映)
    (講師:パトリック・オフレール博士)
   
27日 エミール・ボック その生涯と仕事
    :ルドルフシュタイナーによってインスピレーションを与えられた新しい宗教
    (講師:マーク・ヴィレガ博士)


10月

11日 シュタイナーの「自由の哲学」
    (講師:モーリス・ル・ゲラニック)

18日 人間の芯(心) (プロジェクター上映)
    (講師:オリビエ・クートリ)

25日 ポール ヴァレリー:人智学の様相(講師:カレン・スワジャン)


11月

15日 危機にある幼少時代:幼い子どもの要求にどのように応じるか (講師:ダニエル・デュボワ)

22日 パリからエルサレムまでの軌跡、内側の冒険(講座とお芝居)(講師:ロラン・カム)

29日 がんと薬:人智学に基づいて
    (講師:ロバート ケンペニッヒ博士:AREMAとECPMの統括者)

12月

6日 一年のサイクル、日常の道 ダニエル・レオン

13日 クリスマスの祝い 2つの福音書のイエスとともに

20日 ナザレのイエス、その独自性の謎

郊外に引っ越す前はほぼ毎週出席していましたが、最近は行けていません。
パンフレットを読み返したら行く気が沸いてきたので、とくに興味のある講座だけでも出席したいと思っています。

個人的には
10月18日  「人間の芯(心)」
11月15日  「危機にある幼少時代」
12月 6日   「一年のサイクル、日常の道」 

がとても気になります。

このブログ、MIXIの「パリでシュタイナー」コミュと連動しているので、一応ここでお声を掛けておきたいと思います。

参加できる方、ぜひ一緒に行きましょう!

ただでさえ難解なシュタイナーさんの教え、フランス語で理解することは私にはまだまだ難しいので、ご一緒していただける方が一人でもいらしたら本当にうれしいです。フランス語に問題がない方はシュタイナーについて全く知らない方でも、得るものはあるのではと思います。



2008年9月19日金曜日

書評『教育改革国民会議で何が論じられたか』 


2000年の3月から、小渕首相の提案によって、識者26名を集めて、月に2回、首相の私的諮問機関という形で会議が開かれてきた。小渕氏がなくなったあとは主宰者は森首相に引き継がれた。ここでは、教育基本法にもとづく戦後教育のありかた、現在の教育の荒廃、さらに将来の人材育成の方法をめぐって、激論が闘わされた。それは日本の文化、国家のありかたをめぐる論争でもあったのである。現職の教師としてただ一人委員となった著者が、議論の批評もふくめて、白熱した会議の模様を伝えたのがこの本である。
このような会議の内側を手に取るように感じることが出来る機会はなかなかなく、とても貴重な一冊だと思う。8年も前の会議なのですでに古いものになってはいるが、ここで決められたことのなかには既に実現したもの、これから実現するもの、まだ実現まで至っていないものなどあるので、現在の教育の流れを知るためにも役立つだろう。

委員の中に現場の教師はこの著書ただ一人。著者はだからこそ声を上げねば、と奮闘し、この会議に現在の教育現場の現状を伝え、戦後の歩みをふりかえるという根本から考えることが必要、という認識を他の「有識者」にしめしたことの意味は大きい。(この振り返りは中間報告文のはじめの「いまなぜ教育改革が必要か」にこめられているとおもうので次回その原文とともに取り上げたい)

この会議について残念なことは大きく三つ。

一つ目は現場を知らない委員がほとんどだったこと

教育をいくら語っても、現実に即した実りある議論はまずできない。私が考えるに、教育会議をするのなら、教育現場を知っているものが半数はいなくてはいけないのではないかと思う。会議に出席したものの発言が今後の日本の教育の方向性を決めるのならば、だれが出席するのかは大変重要だと思うのだが。

二つめは未就学児の教育問題について意見がほとんど交わされていないこと。

人生の基礎をつくる時期である保育園、幼稚園の問題は全く取り上げられていないのが口惜しい。現在の学級崩壊が多いのは中学校ではあるが、小学校では「一 年生問題」といわれる現象が深刻になっているが、この会議で現状の姿として発言があったのは主に著者の働く中学校の現状で、小学校の現状ではなく、幼少の 接続に関する問題は現在急務になっているのにもかかわらず、2000年の時点ではまだ問題視すらされていないようだ。本のなかにも幼稚園、保育園に関する 話題はほんの一部しかなかった。

三つめは有識者の教育の現状認識の甘さ
(エリート教育についてを柱と考える有識者がかなりいたこと)


私は著者と同じく、「日本人にはリーダーがいない」と思っているので、エリートともいえる人材の育成に力を入れることには反対ではない。けれども、日本全体の教育の方向について考える「教育改革国民会議」のなかで「エリートをつくるためにどうするか」という議論ばかりなされては現実とかけはなれて行くばかりだろう。

こういう議論をこの会議で進めようとするひとは大抵教育の現場を本当には知らない。「できる子」が1割としたら、9割は「普通の子」なわけで、「普通の子ども」による少年犯罪が増加の一途をたどり始めたこの時期に、1割のほうに焦点を当てるのは楽観的過ぎると思う。1割のエリートより、9割の「普通の子ども」をなんとかまっとうな人間に育てなければならない。それが今までのシステムではうまく機能しなくなったから、教育基本法と現在の子どもの現状にずれがあるのではないか、ということが言われているのである。教育基本法と現状とのズレ、ゆがみの根本を戦後の日本の歩みを振り返ることで見つけだし、今すべきこと、進むべき方向性はなにかを有識者の知恵を絞って考えるのがこの会議の目的になってしかるべきだ。

この会議では全体会から途中三つの分科会に分かれて議論され、「エリート教育について語る分科会」といえる会が一つ立てられた。「競争力のある日本をつくる分科会―創造性の高い人材育成―」という名の分科会だ。はっきりいって、三分の一もそれに費やすのは割合が多すぎる。これは他の議論とはまったく別枠で考えたほうがよい事項だと思う。教育格差を自分たちでつくってどうする。

以下、作家の曾野委員が自身の教育の現状の認識の甘さをこの会議に出席することで感じた発言。

この会議に出るようになってから、私は多くの教育に実際に携わっておられる方々が、すでに日本の教育は手を施すすべもない危篤状態に陥っている、と思っていることを知りました。私は、重病くらいに思っていたのですが、「そろそろ親戚の方々をお呼びになった方がいいと思います。」という段階だそうです。しかし、私は希望を失ってはいません。日本の子どもたちの悲劇は、能力があるのに、それが使われていないことです。それは、教育を司る官僚、教師、親に、勇気がないために危険を冒すことを恐れ、失敗したときの責任ばかり考えて何もしないからです。・・・・・・
   
著者プロフィール(ウィキペディアより)

河上 亮一(かわかみ りょういち、1943年 - )は、元埼玉県公立中学校教諭。埼玉教育塾・通称プロ教師の会主宰。

東京都生まれ。私立開成中学校・高等学校を卒業し、現役で東京大学入学。1966年、同大経済学部卒業。卒業と同時に埼玉県公立中学校社会科の教師となる。2000年に教育改革国民会議委員もつとめた。1966年~川越市立(高階、霞ヶ関、川越第一、鯨井、名細、城南、初雁)中学校教諭筑波大学武蔵野大学非常勤講師。2004年に川越市立初雁中学校教諭を最後に定年退職。2006年4月から日本教育大学院大学(東京都千代田区)教授(教育社会学、教科教育(社会)・現職)。1980年代の後半頃から著作の出版活動を始め、ワイドショーなどのマスメディアに多数出演。著書多数。

  著書

  • 『プロ教師の生き方学校バッシングに負けない極意と指針』(洋泉社、1996年)
  • 『プロ教師の覚悟瀕死の学校を再生するために』(洋泉社、1996年)
  • 『プロ教師の道豊かな「管理教育」をつくるために』(洋泉社、1996年)
  • 『プロ教師の仕事術学校という戦場を生き抜く技術と知恵』(洋泉社、1997年)
  • 『学校崩壊』(草思社、1999年)
  • 『普通の子どもたちの崩壊―現役公立中学教師一年間の記録』(文芸春秋、1999年)
  • 『教育改革国民会議で何が論じられたか』(草思社、2000年)
  • 『学校崩壊―現場からの報告』(草思社、2001年)
  • 『教育大混乱』(洋泉社新書、プロ教師の会メンバーとの共著 2007年)

私の意見と一致するamazonの読者レビューからの抜き出し。
「→」以降が私の言葉での感想。

・教育改革国民会議での話し合いの内容はなかなか詳しくは国民に伝わってこないため,どのような話し合いが行われたのかを知るための貴重な一冊。

→この会議の様子は新聞に取り上げられていて、私も当時記事を読んでいたが、どうもよく見えてこなかった。この本を読んで、いかに新聞の記載内容が信頼できないかが分かった。「本当のところがどうもよく見えてこない」書き方にあえてしていたという事実が書かれていたからだ。15章の教育基本法改正の議論とマスコミの専横では、そのことが書かれている。この会議は教育基本法改正派の首相の諮問機関として開かれていたため、当時、マスコミのほとんどが「森総理が教育基本法の改正論者で、その考えを国民会議に押し付けて、その方向に議論を持っていこうとしているのではないか」という見方だった。改正案に対してはほとんどの委員が賛成であったにもかかわらず、「首相に配慮?」という見出しで「ほんとうは改正反対者がほとんどだった」という嘘とも言える内容が新聞にのせられたことすらあったと書いてある。
 

・それぞれの道で日本を代表する委員が集まっているのだから、高いレベルの提言が出てくると思っていたが、報道される内容からはよく理解できないことが多かった。

・委員の顔ぶれを改めて見てみると、現場の教師はこの本の著者である河上氏しかいなかったことがわかる。この事だけからも河上氏の役割の重要性が分かるだろう。

・この本からは国民会議で議論されて記録されていること以外にも河上氏の視点でみた会議の雰囲気も臨場感を持って伝わってくる。

・最近、話題になっている奉仕活動の義務化等が国民改革会議でどのように議論されたのかが、よくわかる本である。

・現場の教員である著者と他の委員との現状の認識の差がはっきり理解できる。

2008年9月18日木曜日

フランスの育児グッズの紹介

フランスの家庭でよく使われている子育てグッズの紹介

1 哺乳瓶のココア   

5歳くらいになっても学校から帰るとまずは哺乳瓶でココアという家が多い。
日本でもミロを好んで飲ませる人があるが、フランスでは必ずといっていいほど牛乳にココアをまぜて飲ませている。

2 ぬいぐるみ (ドゥドゥ)

ぬいぐるみのほかにもいつも肌身離さずもっているタオルだったりする。
やわらかいものをDOUXというが、そのあかちゃん語でドゥドゥと呼ばれている。
ぬいぐるみとタオルが合体したような肌触りのよいぬいぐるみが「ドゥドゥ」という名前で売っている。
お母さんの服をドゥドゥにしている子も。

3 よだれかけ 

私がいいな、と思っているのが白いコットンのふきんをよだれかけとして使う文化。紙ナプキンや既製品を使う家庭も多いけれど、伝統的には白いコットンのふきんを使っていたのでそれを今も使っている家もある。三角に折ったり、そのまま大きな面をつかったり、メニューに応じて結び方を変えられるし、洗濯して何ども繰り返しつかえるので環境にもやさしくマルチに使えて便利。フランス料理のときに使うセルヴィエットももとはこれなのよ、とこれを毎日使っているマダムが教えてくれた。

三角にして首に巻き、後ろで結ぶ。これをするとサビニャックのイラストにでてきそうな、いかにもヨーロッパな雰囲気になってかわいい。(イメージは上の写真)

4 こども部屋

ひとり一部屋が基本。

たとえば2歳と3歳の幼い兄弟姉妹でもそれぞれの部屋がある。赤ちゃんでもお母さんの隣りで添い寝してもらうことはなく、自分のベッドに寝かしつけられる。母親は鳴き声がきこえたら赤ちゃんのところに行く。

5 キックボード

日本ではちょっと目立ってしまうキックボードだが、フランスではトロチネットと呼ばれて、ほぼ全員の子どもがもっているのでは?自転車と同じくらいメジャーな乗り物になっている。

お稽古ごとや学校に行くときにも使う。

2008年9月16日火曜日

書評:『日仏カップル事情』


『日仏カップル事情』―日本女性はなぜモテる?―  夏目幸子(光文社新書)


この本が新書として出版されていることが信じられない。

日仏カップルについてのフェミニストの極端に偏った批判的意見である。

著者は日仏カップル事情について、よりはそれを語ることによって男女不平等な日本の社会、パリに何かをもとめて現実逃避する女性、主張するフランス女性と対等に渡り合えないフランス人男性を批判し、日仏カップルにあってはそれぞれの無意識的、否定的願望が根底にあって、結びついており日仏カップルは最悪だ、といいたいようである。フランスは男女平等が日本よりも行き渡っており、フランスの女性は自分の権利を主張し、自立していて素晴らしい、という立場から日本の女性とフランス男性を批判している。

日仏カップル事情なのに、話は日本の「男女不平等」「パリ症候群」「負け犬」「勝ち組」などタイトルとは遠い話題が続く。読んでいて「?」がなんども浮かび、著書の考えをこちらが推測してあげないとならなかった。それがまっとうな意見ならまだしも、見つかるのは著者の偏った個人的な見解でしかなかった。
レッテル張りも多く、パリ留学生としては勝手に分類分けされた感があって気分よく読めなかった。

日仏カップル事情はこうだ!と断言した後になぜか事例はアメリカ人の友人だったりもする。自分の論が通すために自分の都合のいい事例を引っ張ってきているだけだ。

読み進むうちに、これは「フェミニストの偏った一意見」として読むのがよいだろうと思った。
役に立つ意見でもないので読まないほうがよいくらいだ。

著者がどんな意見を持っていようと構わないのだが、この本がどのような立場で、どのような角度から書いているのかがはじめに書きおきがないのもまずい。著 者の考えが唯一絶対とでも思っているのだろうか?もし、ほんとうに自分の考えを多くの人に納得してもらいたいのなら、もう少し自分の意見を客観的に見ない といけない。自分の意見を批判する意見などについても取り上げ、自分の論の正当性を語るべきだ。amazonの読者の評価も総じて低い。

2008年9月14日日曜日

フランス人の結婚事情


シッターしている子の母親が今日結婚する。


彼女はすでに幼稚園に通う子どもが2人いて、最近家も購入したので、てっきり結婚したのかと思っていたのだが、実は未婚のマドモワゼルだったのだ。

詳しくきいたところ、高齢で出産するのは大変だろう、と考えて、子どもを先に生んだとのこと。
子どもが大きくなったので結婚することにしたそうだ。

彼女の知り合いでも何人も同じように先に子どもをつくった人がいるらしい。
まず子ども、その後結婚、という順序はパリ近郊ではよくあるみたい、と言っていた。

こんな選択を容易に選び取れるのは、フランスの「超」自由な結婚制度にある。

同棲しているカップルでもお互いの正式な子どもとして公に認められ、国からの補助金なども受けられるので、正式に結婚しないことのデメリットがほとんどないのである。

日本では、結婚していない2人が、そのままの関係で子育てを続けることは婚姻制度上の問題があって難しい。現在では、籍を入れない事実婚も増えているが、法的な保障もなく、税金などの恩恵もない。


ただ、フランスは離婚となるとお金がとってもかかる。だから別れるときに簡単な事実婚が好まれているのでは、という意見もある。

事実婚、非婚カップルについてのサイト

また、パックスという名前の制度があって、同棲同士でも結婚してるのと同じ権利がもらえる。

そういえば、最近みたフランス映画「comme les autres」はホモセクシュアルの小児科医が主人公だった。とある女性に自分たちの子どもを代わりに生んでもらう、フランスならではの内容で興味深かった。

パックス、事実婚・・・自由な婚姻制度はフランスがアムール(愛)の国といわれる所以と言われている。

2008年9月12日金曜日

子どもっぽい子ども


私が今お世話している男の子2人の遊んでいる様子は、同じ歳の女の子とずいぶん違う。

家の中でキックボードを乗りまくる、そしてひっくり返す、ひっくり返すのが楽しくなって何度も繰り返す。
トラックと白バイ(子どもが乗って遊ぶおもちゃ)で暴走、その後ベッドでトランポリンソファにダイブ、転げ落ちて大笑い。またキックボードに戻る。ヘルメットの代わりなのか頭に小さい手提げ鞄ををさかさまにしてかぶる。)

たとえばこんな感じで体にダイナミックな刺激があればそれで楽しいらしい。
よくも飽きずに、と思うくらいずっと動いている。

子どもなので子どもっぽくて当たり前と思われると思うけれど、より素朴で子どもっぽい遊びをするのは男の子な気がする。なんというか、女の子のほうが精神年齢が高いというかおしゃまさんというか、しっかりしている子が多いと思う。

先日お向かいの同じ歳の女の子を持つお母さんと、子どもたちを自転車で遊ばせていたら
 
「うちの娘は口が立つのよ、私よりよくしゃべるわよ。女の子はやっぱり少し大人よね。この夏のバカンス先で有名な俳優のポスターを見て、ファンになっちゃったのよ。」

と女の子のお母さん。

えへへ、と微笑む女の子の横をひたすら爆走して楽しんでいる男の子たちはなんだか笑える。

2008年9月8日月曜日

にじみ絵の一日講座

最近冷凍庫の霜がすごいことになっています。霜が固まって入り口をふさぎ、中のものが取り出せない状態になっているのです。巨大な氷の塊に成長した霜がぐんぐん成長し、とうとう扉が閉まらなくなってしまいました。ガムテープでむりやり閉めているというひどいありさま。なんとかしないと。

さて、
週末参加したにじみ絵の一日講座を記録しておきます。

パリ郊外にあるシュタイナー学校でアートテラピーの一日講座に参加しました。

本科を希望する人たちのための年3回の準備講座のような感じ。
本科の内容を簡単に説明すると週末月一回、1年12回×3年プラス実地研修約1年、4年で終了します。
シュタイナー学校の教師養成学校ではなく、芸術治療に携わる人を育成する講座です。

学年によって色の名前がついています。私たちは「インディゴ」、もうすぐ卒業する学年は「ヴィオレ(すみれ色」です。

「インディゴ」って言葉の響きが綺麗で、静けさを感じる色で、自分との相性がいい色だと思っています。
初めて描くにじみ絵はインディゴを使うので、フレッシュな感じがするのもいいです。
そういえばスピッツの「インディゴ地平線」も大好き。

前回と同様プログラムを追う形で簡単に記録します。

一回目の講座のエントリーはこちら。

~~今回のプログラム~~


8時半~10時 人智学に基づく医学を実践されている医師の講義

休憩 (お茶、コーヒー お菓子)

10時半~   ミッシェル・ベイヤー先生によるアートテラピーの概論 
         作品説明(壁一面に張られた生徒たちの絵を見ながら)


質疑応答(ここがかなり長い。皆些細な疑問でも積極的に質問する。)
午後のワークショップの説明  

12時半    オーガニックランチ
        
メニュー
いんげん、トマトなどのサラダ、パエリア、にんじんのコンフィ
        
食後の休憩  おしゃべりをしたり、セーヌ河をながめたり、寝転がったり皆さん超リラックス

14時     「赤」の練習

16時~18時10分   ミシェル・ベイヤー先生の講義
 

ココが最大の難所。休憩なしで2時間以上フランス語に集中するのは昼休み挟んだとはいえ結構つらいものがありました。先生はエンジン全開、ノンストップでお話にかなり熱がこもっていましたが、同じことの繰り返しが多くて一つの内容をあっちからこっちからとじっくり話されていました。大体が午前中の医師の話をもとにしてのアートテラピーについてのお話でした。写真は講座の様子です。

休憩  お茶、コーヒーとお菓子

18時20分~19時20分 講義:モデラージュについて 

粘土でできた立方体や球体をみせながらの形の発生のような話でした。

2008年9月1日月曜日

ロンドン一日探検 

夏のロンドンひとり歩きの写真日記です。

ロンドンといえば2階建てのロンドンバス
絵になる町の風景

・アンティークマーケット これが今回の最大目的

骨董とハイセンスなショップが並ぶ street
最寄駅は angel

気になったお店

キッチュな子ども服、子ども雑貨



スウェーデンの子どもの靴専門店
オーガニックコットンのベビー用品、ナチュラル雑貨もありました。

テディベアと人形のお店 

ハイセンスな店構えのヘアサロンも。
かわいい犬のぬいぐるみはむすめちゃんのお家の愛犬にそっくり。

・インド料理のランチ

骨董通り付近のインド料理レストラン。



・おもちゃ博物館 (今回の最大の目的 その2)
                       


各国のおもちゃ博物館を見るのは最近できた趣味。日本ではまず見ることのないものがたくさんあって、その国の子どもの文化を垣間見ることができるので楽しい!


所要15分ほどの小さい博物館。古~い建物はなかなか雰囲気があってよかったが、
おみやげ売り場のおもちゃはくだらないものがほとんどだったのと、絵本売り場は大人好きするマニアックな絵本がすこしあるだけだったのが残念。館主のセンスはいまいち子どもの本質にあっていないのが残念。

受付のレジはすごく面白かった。レバーをまわすとチーンといって開く。これもおもちゃなのかしら?

西洋のものは 紙ものと人形が多かった。紙でできた劇場とその小物。ドールハウスも少し。
人形は古いものが多く、狭い館内にぎっしり展示されていた。
なかには顔全体にひびが入っているものもあって、かなり怖かった。

外国の古いおもちゃもコレクトされているのが興味深かった。
中国、ヒンドゥー の影絵、日本の流し雛、こけし、日本人形もいくつか展示してあった。


料金
子ども 2ポンド 
大人  5ポンド  
割引  4ポンド(学生など)

おもちゃ博物館付近をぶらぶら。歩きつかれて入ったカフェ。


・大英博物館  滞在1、5時間では全部見るのはもちろん無理。ねらいをきめて鑑賞。
ピカソ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ルーベンス、など巨匠の作品が無料で鑑賞できるのがすごい。

モネの睡蓮、日本の橋、ヴェニスの運河、
ピカソのはとを抱いた子どもの絵、
ゴッホのひまわり、椅子
企画展「LOVE」 の展示 シャガールの花束と恋人の絵

8月20日は夕方からピアノコンサートがあって、ジャズ ピアノ引き語りの男の人がとてもスマートで素敵だった!あっというまに人だかりができてしまってつまさき立ちでしばし鑑賞。

歩きつかれたけれど刺激的な一日でした。

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