2009年3月24日火曜日

問題は「生活力の低下」

「教育大混乱」という本を読みました。

教育大混乱 (新書y)

以前に取り上げた本の著者が所属する「プロ教師の会」の編著で、この著書の書いた部分もあり、最近の動向に対しての著者の意見に興味があったので読んでみ ようと思いました。

プロ教師の会のメンバー6人の論評を集めたもので、ゆとり教育から学力向上の流れにある日本の教育のゆく末についてが争点となって います。

「プロ教師の会」のメンバーの意見はさぞかし一貫していて説得力のあるものだろう、きっと河上氏が言っていることをいろいろな視点で違う人が論じているのだろう、と思って期待して読んだのですが、それは勝手な思い違いだったようで、教育改革の歩み、ゆとり教育、学力向上への流れについてなど、認識がそれぞれバラバラな印象でした。せっかく良い論評もあるのに、いろいろ意見があるなかのひとつに成り下がってしまっているのはとても残念です。

「プロ教師の会」とは何か、と調べてみたところ、現職の教師たちがはじめた勉強会が発端だそうで、私が想像していたほど大きな組織ではないようでした。それにもかかわらず、本を出版したり、メディアに出たりして国民に自分たちの主張を発信している点はすごくいいと思います。

プロ教師の会(プロきょうしのかい)は、埼玉県の公立中学校に勤務する教師たちによって作られた会。教育現場の現実を踏まえ、リアルに校内暴力非行不登校、生徒の学力などの問題と取り組む教師たちの勉強会から生まれた会で、当初は川越市内に勤務する教師の会だった。ウィキペディア(プロ教師の会)

「プロ教師の会」という名称は、埼玉県内の教師の勉強会として現場の実践の中から思想を生み出す事を目的にして現在の代表である河上亮一が作ったものウィキペディア(諏訪哲司)


内容

「緊急の教育課題は「学力低下問題」か「子ども・若者問題」か? 今日の教育不全は、学力低下にあるのではない。学ばない、学ぼうとしない子どもにこそあるのだ。なぜこれを直視しないのか?1980年代中葉以降に顕著になった、子どもの変容を認めず、 学校が悪い、教師がダメだ、といった犯人探しに右往左往し、挙句は、愛国心があればいじめがなくなるとか子どもは本来学びたがっているのだから、ダメ教師を査定して排除すれば 子どもは学ぶはずだなどと現実を無視した、床屋政談にうつつをぬかす。わが子の成績だけにこだわる親と、競争と効率と市場の論理で教育を語るだけではこの国の教育再生はみえてこない。もうこの国はほんとうにだめなのか?

1 「子どもが変わった」ことを認めない議論はすべて間違う  諏訪哲二
2 「ゆとり・生きる力」派の敗北と「学力向上」派の跳梁  諏訪哲二
3 「ゆとり教育」敗北後の小学校の実態を誰も知らない  鈴木一郎
4 陰山先生はそんなにえらいのか  鈴木一郎
5 「教育再生会議」はどこへ行こうとしているのか  河上亮一
6 市場原理と教師査定で学校は活性化するか  喜入克
7 イジメの正体とその解決法  喜入克
8 「愛国心」は教育を再生するキーワードになり得ない  藤田敏明
9 「できる子」と「できない子」はどのように差がついていくか  北村則行
10 わが子だけ勝ち組になればいいのか?  諏訪哲二
11 教育を経済や政治のことばだけで考えてホントに大丈夫か  諏訪哲二


読んでみて、河上氏の意見はやはり共感できました。けれどもメンバーすべてが彼の主張を理解しているのかちょっと疑問です。特に、小学校校長である鈴木氏の陰山メソッド批判はまったくとんちんかんで、教師自体が足場と行く先を見失っている印象を与えてしまっていました。まず理解できない部分、ついで共感をもてる河上氏の意見を取り上げ、思ったことを書いてみます。



4章、陰山先生はそんなにえらいのか(鈴木一郎) 


前の章とつなげて何度か読んで推測するところによると、この方の言っていることは大きく二つ

・ゆとり教育のめざす「新しい学力観」は望ましいもののように見えたが、どうすればそれを実現できるのが、わからなかった。(ゆとり教育批判)

・読み書き計算で学力向上、というのはわかりやすいのでそれよりはいいが、個人の能力の差異が明瞭になってしまうのは問題だ。(学力向上に伴う懸念)


ということのようでした。保護者のニーズという外圧についても書いていますが、バッシングを受けるのを避けるためか、批判的に書いていません。保護者の声をそのまま載せるだけというトピックが3章のはじめにあります。著者の意見は全くなしです。だからどうするのが良いか、という著者の考えも特になし。

この論評には他にもおかしいな、と思うところがいくつもありました。陰山メソッドの批判のはずなのに、

「学校と家庭の両方でやれば相乗効果を期待できるかもしれない」(P72)

とある意味認めてしまっているのがまず理解できません。

また陰山氏の主張する伸びる子の条件に「早寝、早起き、朝ごはん」というのがあり、家庭での生活改善がまず第一と提唱しているそうなのですが、鈴木氏はなぜかそこに釘を刺しています。

生活改善こそが子どもを伸ばす第一歩だとすると、望ましくない生活を改善できなければ子どもは伸びない。そういっているのと同じである。(P80)

私はマニュアル化されたつめこみ型学習法などには全く賛成しませんが、生活が望ましくない子どもは絶対伸びないというのはよくわかります。何をするにもよい生活リズムが子どもにとってまず第一だからです。なので、この点においてはどこが間違っているのか全く理解できませんでした。子どもが「早寝、早起き、朝ごはん」するのは当たり前のことです。陰山氏が「早寝、早起き、朝ごはん」が重要だ、と親に知らせないとわからないという状況は憂うべきですが、この主張に限っては別段悪いところはありません。もし批判するのなら、子どもに規則正しい生活をさせることができない保護者がいること、学校の生活指導ではそれを変えることができないこと、寝不足の子どもを学校に送り出しておきながら、子どもの学力が上がらないことを学校や教師の責任にする保護者が増えていること自体に眼を向けるべきです。

PTAなどから学校の責任逃れだ、といわれるのを恐れ、陰山メソッドを槍玉にあげているようにしか見えず、肝心のこれからの教育については何も書かれていません。


河上氏の意見

ちなみに河上氏はゆとり教育のゆりもどしで、学力向上ブームが巻き起こっている今の現状に対し、この本の中で、今の子どもたちの抱えている問題は「学力低下」ではなく、「生活力低下」だ、といっています。しごくまっとうな意見だと思います。問題は

「嫌なことにぶつかると簡単に参ってしまう生徒たちが増えている。ちょっとしたことで大きく傷つくようになった。他方、欲望を抑えることをしなくなり、他人といっしょに生活することが難しくなった。傷ついた時に、自分を守るために極めて暴力的になることもでてきた。」(P91)
ということだと、私も思います。クリスマスの時期に「待つ」ということができなくなっている私たち日本人について書きましたが、言いたいことはそれと似ています。我慢する力、努力する力、挑戦する力、じっくり努力する力などの低下もまた、便利でなんでもすぐに手に入る社会状況がすべからくして生んだものだと思うからです。日本では「この教育の崩壊の責任をだれがとるべきか?」という議論がよく行われていますが、私にはこの上なく無意味な問いにしか映りません。どんなに自分は関係ない、と思っていることにだって、まったくつながっていないとは言えません。この状況は私たちの一人ひとりがつくったものですから、誰か一人、どこかひとつの組織や職業人にのみに責任を問うことなどできるはずなどもともとありません。それなのにいつも何か問題が起これば、「責任」という言葉が飛び出す日本。誰か一人を槍玉にあげ、「自分は加害者ではない、一ミリだって悪くない」ということにすれば満足なのでしょうか?

河上氏は最後にこう締めくくっています。

改革を「お任せ」にすることはもうやめなければならない。(P102)

他にもいろいろ書きたいのですが長くなったのでひとまずこの辺で。

2 件のコメント:

gussuri me-me さんのコメント...

あまり詳しい内容を知らないのだけど、ウィキペディア情報だけだと、学校=制度そして管理という監視社会批判のフーコーやイリイチ、プロイセン愛国・訓練教育に対する反動としての情操重視のヘッセ、ユング、などの考え方とは対照的な人たちなのかな?と思うのですが。この本では目次を読むと必ずしもそういうわけではなさそうだね〜。教育とナショナリズム、および規律・訓練、管理(それが全体主義社会を生み出す原因ともなる)という視点が日本では(世界中かもしれないけど。アメリカも聖書と権力、教育が繋がっているので)欠けているような気がします。果たして、現状を肯定し生き延びるだけの社会力だけが秀でた子供だけを育てるので良いのか、個性の問題はどうなるのか、思考、批判能力の形成は公教育で養われるのか、とても難しくて厄介な問題だと思います。教育と社会は表裏の関係になっているので、何か問題が起きたときは、一個人の責任ではないということは確かだと思います。すぐに簡単に答えを見つけたがる現代マスコミ社会では、現実というのものが、多義的で複数性に満ちたものであるにも関わらず、誰かをやり玉にあげることで済まそうとするのでしょうね。

meg さんのコメント...

うん。この本、批判、否定したくなるものもあるけれど、中には現実を知ってもらおうと本当に頑張っている先生もいるのね。それが一冊にまぜこぜになっているところがまさに大混乱な日本の教育の現状をあらわしているような。100パーセント間違いか、100パーセント正しいかなんてどっちも有り得ないはずなのに、複雑で多義的なそのままを受け止めることはとてもむずかしく、キャッチーなマスコミのあれやあこれやに惑わされて、もうわけわからない状態なんじゃないかな、普通に子育てしている人たちの多くは。信頼できるものが何なのか、探してもなかなかわからない状況。社会と教育はつながったものなのだから、どんなに関係ないと思っても一人ひとりが教育にどこかしらで責任を負っているはずなのに。「自分は違う、悪いのは~~」と言っている限りは新しい道はなかなか見えないと思うのです。

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