2011年1月22日土曜日

日本に到着

巴里からの便が一時間ほど遅れて乗り継ぎ地点のウィーンに到着。乗り換え便はすでに出てしまっていて、ウィーンからフランクフルトに飛んで3時間ほど待ち、日系の飛行機で帰ってきました。機内食で和食が食べられたりサービスが日本語で受けられてよかったものの、朝に到着のはずが、夕方に到着。重量のある大きなバックを手荷物として持ち運んでいたので徒歩でのターミナル移動などが多くなったのには辛いものがありました。
でも久々に家族と再会して心から嬉しいです。週明けより東京で調査を始めるのでそれまで束の間ですがゆっくり我が家で休養をとって備えたいと思います。


日本に帰ってからすぐ違和感を感じたのは、我が家の造りつけのサイズ。とても低く小さく感じます。フランスサイズに慣れてしまったようです。洗面台なんてまるで子ども向けのものを使っている感覚です。多分フランスの新しい引っ越し先の造りがすごく高いので、それで前回帰ったときよりも妙な感じがするみたいです。

今テレビでコンビニのおにぎりの作り方をみていたのですが、やっぱり日本の製品の質の高さはすごいです!食品工場の機械の精緻さと開発者の緻密な研究努力は驚くべきものがあります。単純に感心するとともに、この少しの違いを実現するためにたくさんの人が自分の自由に使える時間を削って働いていることを思います

このプラスアルファの時間と努力に価値が置かれることはフランス社会には期待されていませんね。フランスの労働者たちはこうしたプラスアルファのための労働時間を家族のためや自分の趣味、バカンスとして消費しているはずです。

そう思うと、コンビニのおにぎりの風合いなんて、どうでもいいと思えてきます。日本の労働者の家族に団欒の時間が半日でももてるようになるのなら、日本国民の幸福度が上がるとおもうからです。時間ができれば、その分で手作りでおにぎりくらい自分で作れるでしょうしね。

なくては駄目なところには惜しみなく時間をかけてもよい。でも日本のサービスや高度な製造技術はなくても済むところに需要をむりやり生み出しているように見えます。資本主義の宿命といえばそれまででしょうけれど、一体こういうところをどれだけ一般市民たちが意識して生活しているでしょうか。
意識したって何も変わらないでしょうか?実際自分を省みれば、日本を出る前は当たり前に享受していたのだから、誰のことを批判するでもないのですが、ただ、この当たり前になって目に見えないことの背後に何が有るのか、何が無いのか、を思う時にぞっとするほどの未熟さを感じる、ということを誰かに伝えたいと思います。日常の至るところで不便さを感じるフランスから帰ると、日本のサービスの良さと際立って配慮の行き届いた製品はときどき不気味にすら感じられるのです。
違う視点でものを見ている人の意見を聞いて自分に取り込むことも、私たちは苦手じゃないかと思います。フランスかぶれ、というレッテルが存在するでしょう?私は変人とは思われたくないけれど、自分の感じることをそのまま伝えたいです。

ああ、でもこうして自分の体験の実り多かったことを妙に説得したい気分になるのは自身がない現れなのでしょうか?やっぱり自分自身を無意識の部分も含めて分析するのは外を観察するのと違って難しいです。哲学者はどうやって深い思考レベルに自分の意識を留めていられるのでしょう。私などは2年ぶりに食べるおいしいお寿司に一瞬で心を奪われてしまうのに。

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