2010年11月15日月曜日

フランスの日本語教育

今年の2月の節分のときにこのブログにも少しご紹介させていただいたヴェルサイユの国際文庫、あずき文庫が発展して(という表現であっているでしょうか?)

幼児の日本語保育を目的とした会が発足したそうで、普段先生役をされているお母さんの一時帰国の間の保育助手にご用命いただきました。

そういうわけで先の水曜日は手ぬぐいを使ってねずみをつくったり、子どもたちがおにぎりをつくったりとてもよい時を過ごさせてもらいました。

あずき文庫との大きな違いは、保護者が子どもを預けて、一定の時間、保育者と子どもたちだけで過ごすことです。

子どもって、意外と、親のいないところでぐんと育ちます。

やっぱりあずき文庫のときの子どもたちと違って、子どもたち一人ひとりの存在感がぐっと大きく感じられ、子どもと過ごす大人と子どもの関係、子ども同士の関係がすっきりと、クリアです。


親と離れて日本語で集団生活をする。子ども同士が日本語の自然なコミュニケーションや伝統文化に触れる。

日本語文庫からはじまったここの保育は公民館を借りてやっと実現したお母さんたち手作りの幼稚園ですから、毎日通園というわけには行きませんが、それでもはじめることができたんですもの、この意味はとっても大きいと思います。

参加者はまったくの日本人家庭もあり、日仏家庭もありですが、普段は現地の幼稚園に過ごしている子どもたちです。フランス語もたくさん聞こえてきます。

ただ、ベルギーの外遊びの会のときは、主催者側が開催当初からかなり言語について意識してきたからなのか、子ども同士で話すときにすぐにフランス語の会話になってしまうことがほとんどありません。

あずき文庫の参加した季節の催し、今回の手作り幼稚園いつでもここの子どもたち同士ではフランス語がかなり多く聞かれました。参加する子どもたちが育つにつれてフランス語をもっと身につけるようになっていくわけですから、日本語に触れる機会を作るのが目的の会では保育者はどんどん難しくなっていくのではないかと思います。会の集まりは小さいですが、その点、ベルギーのほうは稀有なくらいうまくいっていると思います。


家庭での語学教育、といいますか、母語の使い方の及ぼす影響ついてはこういう機会があると毎度考えさせられる興味深いテーマです。

異なる家庭の子どもたちが日本語で一生懸命保育士さんと話しているのを聞くと、同じ年齢の子どもものすごくボキャブラリーに差があることがよくわかりました。すでに、どうやって太巻きをつくるか、流暢に説明できる子どももいれば、日本語がすぐにでてこなくて、もどかしそうにしている子どももいました。子どもの性格によってもともと無口な子とおしゃべりな子もいるし、縦割り保育なので年齢のかなりな違いがあるので、違いがあるのが当たり前です。でも同じ家庭の兄弟、姉妹のボキャブラリー量が似通って多かったり少なかったりするので、年齢差だけでなく家庭環境が大きく影響していることがみてとれます。


この幼稚園の日本語教育という意味での成功(成功と言ってもひとそれぞれあるとおもいますが、ここでは、フランス語で現地の教育をうけながらも、日本で育った日本人とだいたい同じくらい話せることとしておきます)は、決して日本人学校や幼稚園の保育者の力量や活動内容の良し悪しだけが影響するわけではないということです。むしろ、保育者の役目は子どもを参加させる保護者の方の家庭での言語使用、どんな言語環境を子どもに与えてあげるか、その労力をどれくらい重要なことと考えているか、などの、家庭でのその子への願いの真剣さが大きく影響するようです。主催者側は大変骨の折れる作業ですが、最終的には、というか根本的にはそこにうまくてこ入れできるかどうかがのちのち重要になるのではないかと思います。


日本語学校に子どもを通わせる家庭は普通、はみんなとても真剣といえば真剣です。ただ、人は真剣さをまちがうこともあるから、難しいですね。良くある失敗例はお稽古ごとや日本語学校に通わせたことで安心して、家での言語環境について怠惰になってしまうケースです。例えば競争率の高いモンテッソーリに子どもを入れさせることのみに燃えてしまって、入学したらそれですっかり安心燃え尽きてしまうとか。

親のみていないところで子どもは育つとさっき書いたばかりだけど、子どもは学校だけで育つのでもありません。

やっぱりその子の教育を決めるのは親だから、教育の責任を学校だけに押し付けることはできません。

うちは共働きで忙しくて子どもにかまってあげられないから、幼稚園だけはいいところにいれた。安心!

こういう考えの方に陥りやすいのがいまの日本ですから。相当気をつけないと。間違えることが誰でもあります。

怖い怖い。

でも、実際、子どもがモンテッソーリやらシュタイナー幼稚園にいっていても、ただそれだけだったら高い月謝を払う意味は限りなくゼロに近いです。得られたのは親の束の間の安心感だけだとおもって間違いないです。

子どもとの営みは毎日の小さな事柄に丁寧に関わっていく。そのことなしには子どもはうまく育ちません。

もちろん、週に一度の日本語学校だけではまったくもって足りません。ただ行けばよい、というだけでは猫のノミくらいのことしか子どもに影響はないとおもいます。でも、大人の意識次第でほんの少しの機会を最大限に活用させたいと思えば、ものすごく良い時になります。日本語で話さなければ彼らはどんどんフランス語優位になり、日本語は忘れていく。大人側のちょっとの怠惰が子どもの言語習得の機会喪失になり、ちょっとの工夫が2倍のボキャブラリー獲得にもなる。1日ごとにその差は増えていって一ヵ月後一年後には...。

海外で子育てをしている当事者にとってはとても深刻な問題なのに、海外には日本語で分かりやすく、本当に有意義な言語教育情報を教えてもらえる機会がありません。地道な実践を手取り足取り指示してくれるひとなどいません。まったくもって地味な作業で、お金にならないからでしょう。残念な世の中です。パリにあるのは営利目的のいくつかの日系おけいこ塾くらい。不安だからそういうところにしがみついてしまう人がたくさんいます。でも、それじゃ、ただ企業の、資本社会の犠牲になるだけではないでしょうか。子ども遊ぶ時間がへり、親はイラつくだけ。私の声はせいぜい3人くらいにしか届かないけれども、それでも地味につらつら書かずにはいられません。

日仏保育畑で、ベルギーで。いつもよい刺激をもらって感謝です。せっかく長く書いたので無理やりでも研究のほうに反映させたいところです。 汗。






















今週の水曜日も

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