2008年7月29日火曜日

ニースのマルシェ

ニースの海岸沿いを一本はいるとレストラン通りがあって、朝はマルシェが立ちます。
これは石鹸を売るお店。色とりどりの石鹸を見ているだけで楽しいです。

パリでは見かけない、ドライトマトの量り売り。たくさん入った大袋が一つ5ユーロ。
奥はなすです。ドライなすはかなり珍しいですよね。赤いパプリカもありました。トマトだけお土産に
したけれど、パスタにあえるだけで絶品で毎日食べてます。この調子ではすぐなくなってしまいそう。全種類二袋づつくらい買っておけばよかったなぁ。
見た目にもかわいらしいマカロンのコンフィ。
新鮮な夏野菜がならぶ野菜の店。ズッキーニの花つきが南仏らしい。
どれでもひと盛り5ユーロ。日本にもありますね、こういうスタイル。歴史を感じさせる器がいい味だしていました。

サイクリング


とても天気がよかったので近所をサイクリングしました。暑さは日本の夏と違ってさらっとしています。


風が強かったので木陰に入ると寒いくらいでした。

親子でにじみ絵ワーク



2008年8月4日ベルギーで「親子にじみ絵ワークショップ」を開催予定です。
 
ベルギーのブリュッセル在住の日本人の子どものための活動、「外遊びの会」の夏休み特別企画です。
私が去年の夏お世話になったファミリーがこの会を運営しています。

対象は3歳~5歳の子どもとその親。

詳しくは又後日お知らせします。


写真:ブリュッセルの観光名所 グランプラス 

2008年7月27日日曜日

おいしいニース風サラダのつくり方






南仏旅行の余韻に浸るため、今夜はニース風サラダ(サラダ・ニソワーズ)をつくりました。フランス語で言うとなんでもおいしそう、しかも豪華に聞こえるのが不思議ですね。ただでさえ量の多いフランス料理ですが、南仏はさらに量が多かったです。ニースっぽくするには惜しみなくレタスを皿に盛ることです。おかげで一皿2人前はありそうなほど大量のサラダができました。


特徴

ツナ、トマト、オリーブが使われているところでしょうか。南仏で取れたハーブや塩を使うともっと雰囲気が出るかもしれません。フランスでなくても材料はどこでも手に入るものばかりなので
日本でも気軽に楽しめそうです。パリでもニース風サラダはいたるところでいただけます。


材料


分量はすべてお好みでOK南仏料理は量が多いので豪快に。

エクストラバージンオリーブオイル
バルサミコ酢



黒オリーブ
レタス
トマト 
ツナ

(作り方)

基本的に材料を洗って切って皿に盛るだけと子どもでも作れそうです。トマトは薄く輪切りにしてお皿の淵にならべるお店が多かったです。個人的にはレタスは山のように盛るのが好きです。オリーブオイルがドレッシング代わりなので思い切って良質なものを使うことをお奨めします。

2008年7月26日土曜日

南仏旅行記 TENDE線の旅

南仏旅行で海岸沿いからタンド線で内陸に向かう景勝列車に乗りました。

一番イタリアよりの海岸沿いの線をヴァンテミリアでタンド線に乗り換えです。

日帰りで見所の多くアクセスしやすい村に出来るだけ多く寄れるようにと考えると、終着駅のCUNEOまでいくのは時間がかかるので、タンド線の一番イタリアよりのフランスの駅タンドで折り返すコースでプランを立てました。乗り継ぎの時間や次の電車までの間隔を考慮すると旅のプランがはおのずと決まってしまいました。

平日だったのに日曜日にしか走らない電車をプランに入れてしまって、結局行きたかった村の一つソスペルには降り立てませんでしたがそれ以外は予定通りの電車に乗ることができたのと、メインで訪れたタンドの村がとても良かったので大満足です。




旅の足跡


 9:44 NICE 発       

前の座席におばあちゃんと3歳の女の子。ずっとくまのぬいぐるみに話しかけている様子がなんとも可愛らしく、窓に映る姿をみながらずっとおんなのこのおはなしに耳をかたむけていました。隣に座っているおばあちゃんが優しくその子のお話に受け答えしてあげていて、とてもいい関係に見えました。とても優しいおばあちゃんでした。同じ駅で降りたので、ベビーカーをおろすのを手伝ってあげ、すこし会話を交わしました。女の子の両親はアンティーブにいるそう。夫婦水入らずでお出掛けかなにかなのでしょう。彼女はホストファミリーとして日本人の学生を受け入れていると言っていました。意外と日本人とつながっているフランス人って多いのかもしれません。

10:21 MENTON着 


 
次の電車まで約一時間ほど自由時間。海岸沿いの道まで約5分。ビーチはファミリーが多くいました。
この町の名物はレモン祭りに代表されるように柑橘系の果物。駅を降りるとすぐにオレンジの木を発見しました。


あまり時間はなかったけれど、せっかくなので海岸沿いの通りのcafeでオレンジジュースを頼飲みました。雰囲気はいかにも柑橘なcafeが並び、なかなかでした。



特別おいしいジュースかと思いきや普通のオレンジーナでちょっとがっかりでしたが冷たくて汗が引きました。

その後ほんの少しだけ海に入りました。水はすごくつめたかったです。砂利浜なので波打ち際は透明でとても綺麗。波で削られてまるくなった石が可愛らしくてお土産にいくつか拾いました。


たまねぎが甘く、生地がこうばしく見た目よりもおいしかったです。

11:28 MENTON発

11:40 VENTIMIGLIA着
海岸沿いに陣取ったもののすぐに到着。ニースより東はトンネルが結構多い気がします。ここはただ乗り換えのために降りました。駅構内でイタリアのお土産が売られていました。気の利いたサンドイッチも売っていますが、レジで結構並ぶので時間があれば他であらかじめ買っておくのが良さそうです。

12:03 VENTIMIGLIA発 

←この電車の到着が15分ほど遅れました。待っている間ちかくで同じ電車を待っていたおばあちゃんにひげが生えていたのでびっくり。実は70歳くらいの女装の男性でした。

13:04 TENDE着

駅の近くのお店の前で日向ぼっこ中のおじいさんに村へのアクセスをきいたところ、山登りコースを教えてもらってしまい、だれもいないけもの道をサンダルでしばらく登ってしまい、かなりなエネルギーを消費。降りてくる人にようやくすれちがったので、先の道を聞いたところ、そのサンダルじゃ無理だね、と言われておとなしく下山。おじいさんに会った地点にまっすぐ歩くとすぐに村の入り口に到着。

長くなるので村の様子は別にアップします。
ここでの食事はあてにしてませんでしたが、ハイシーズンのためかレストランはほぼすべての店が営業していました。どこの店もたいていpLAT DE JOURが10ユーロもしなかったのでタンドの物価はパリと比べかなり安いです。知っていたらここで食べてもよかったなぁ。

17:22 TENDE発 

予定では16:08の電車に乗るはずが、平日はその電車がないことに気付き予定変更。引き続き一時間タンドを見て回ることに。

cafeで一息ついたあと、再び村に戻り、ひょんなことから丘の上の城の跡地につづく道を発見。素晴らしい眺めでした。
一番目立つ建物がノートルダム教会です。だまし絵と彩り豊かな壁画が一種異様な雰囲気をかもし出しています。こんな辺鄙な村には不自然なくらい大きく、なんだか怖いくらいでした。

18:57 Drap-Cantaron着

SOSPEL(ソスペル)で下車したかったけれど乗り継ぎの関係で断念。Drap-Cantaronという駅で30分だけ下車したものの特に何も無く・・・。

19:37 Drap-Cantaron発

ときどき車窓を楽しみながら車内でウトウト。でも外はまだまだ明るい。

19:52 NICE着

夕食はホテルの近くの和食屋さんに行きました。

2008年7月25日金曜日

ニースの夕食

ニースの海岸通りを一本内に入るとレストラン通りがあります。
le safari というレストランで夕食を頂ました。
これは海鮮カルパッチョ。盛り付けも味も最高。


テーブルの上はこんな感じ。
これは南仏野菜のファルシ。中につめものはひき肉とたまねぎなどの野菜が入っています。
野菜によって微妙に味が違う気がしました。
レストラン通りはにぎやかで楽しい雰囲気一杯。バカンスできている人たちがほとんどなので、みんなニコニコしていました。
この通りは朝はマルシェが立ちます。とても良かったのでマルシェの様子はまた別にまとめます。



レストラン

Le Safari
http://www.edinformatics.com/travel/Nice_France/safari.htm


Cours Saleya
06300 Nice, FRANCE
TEL 04 93 80 18 44

南仏旅行記  モナコのレストラン

南仏旅行に行ってきました。モナコはフランスではありませんが、エズ村から近かったのでエズの帰りにモナコ事前に調べておいたモナコ料理が食べられるというモナコのレストランでお昼を食べました。

これはメインのたらと温野菜のアイオリソース。ものすごい量。

これは前菜。左上がサーモンのカルパッチョ、手前がムール貝の南仏風。バジルとにんにくとオリーブオイルをふんだんにつかったソースが絶品。

ソースがおいしくてパンがすすみます。その分メインがつらくなりました。
なぜかお皿はエスカルゴ用のでした。ムール専用のお皿はないのかな。
これもメイン。サーモンのソースはレモンが入っているのか見た目よりさっぱり。
付け合せのポテトが信じられないくらいおいしかった。
ポイントのミニトマトがかわいい。
デザートのクレームキャラメル。このころ既ににお腹がはちきれそう。
カラメルソースが手作りっぽくおいしかった。

バニラアイス。私はプリンをとったのですが、重すぎたのでアイスにすればよかったと後悔・・・。
バターは大好きなエシレでしたが、パンはムールと食べてしまったし、お腹が一杯でほとんど味わえず残念。
テラス席だったので外の風景が見えました。
大公宮殿の入り口付近の広場です。丘の上にあって、大砲のレプリカが置いてあるところまで行くと海を見渡せます。

海洋博物館付近からみたモナコの海。モナコ駅。帰りに利用しました。きらびやかな町の雰囲気と同様なんだか豪華です。

さすが治安がものすごくいいと言われているだけあって、おまわりさんをあちこちにみかけました。
レストランの場所がなかなかみつからなかったので、聞いたところ、敬礼をしてから丁寧に答えてくれました。ジェントルマンでした。

2008年7月19日土曜日

保育園のお迎えは波乱万丈

近所の子どもをシッターしている。2歳のユナと3歳のマリンだ。両親はどちらもフランス人。フランス式の子育てをしている。今日もセントルデロワジールとクレッシュ(保育所)にお迎えに行ってきた。
 
今日は庭で大きなダンボールで盾のようなものをつくったらしく、みんな持ち帰っていた。マリンは誰か他の子か先生に描いてもらったらしいが、それでも自分で作ったかのようにご機嫌。

ピクニック帰りの他のクラスの子どもたちがお兄さんとともに保育所に戻ってくるのに出くわすたびにかわいいね、などと声をかけてもらい、更に満足。

道路で大きな鳥の羽ととんでもなく大きな松ぼっくりまで見つけてもうニコニコ。そう、ここまではいたって快調だった。

ところが・・・

何気なく私の肩にかかったリュックを見ていきなり大泣き、というか軽くパニック状態。

何事??

「そのリュック、私のじゃないよ~!!」

二つともマリンのフックにかけてあったので、一つは今日行ってきたというプールの用具だろう、と中を確かめなかったのだが、中を開けると男の子用の水着がでてきた。

間違って他の子のリュックまでもってきてしまったのだ。

でも自分のものが無くなったわけでもないのになんでそんなにひどく泣くの?と私びっくり。

ねえ、マリン、それでどうしてそんなに泣いてるの~?

するとマリン

「違う人のもってきちゃったら泥棒になっちゃう~!すぐに返さないと~!!」

私「!!」

「他の人のものをとったら泥棒になる。牢屋に閉じ込められる。」

きっとご両親にそのように言い聞かせられてきたので、自分が泥棒になってしまう、と本気で心配になったのだと思われる。



ちなみにマリンはシュタイナーの4つの気質に当てはめるとまさに典型的な憂鬱質だ。

(以下憂鬱質の人の特徴)
言葉使いと態度はゆっくりしていて慎重
・非常に冷静で内向的、また良心的
・自分に対してすごく関心がある
・細い線で、うすく、小さいきれいな字を書く
・探求心がつよい
・懐疑的な態度
・注意力が発達している
・独創性に徹しており、想像力が豊か
・固定観念にとらわれがち
・外の世界に対して客観的
・内部に深い世界を担っている
・非社交的で孤独
・人間嫌い
持続力がある


シュタイナー 4つの気質 (とても興味深いです)
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~kazumixx/steiner-19-1.htm



親が子どもに犯罪者になってほしくないのは当たり前なことだけれど、ただでさえ固定観念にとらわれがちで親の職業が弁護士だったりするマリンは、普通に愛情を受けて育てば、どうしたって泥棒なんかになれそうにないタイプなのだ。

でも彼女はとても真面目で善良な人なので、もし自分の絶対的な人に

「そんなことをしたら泥棒になる」

なんて言われたら彼女は

「自分が泥棒になってしまう可能性がある人だ」

と本気で信じて、自分に秘められたその恐ろしい可能性に囚われてしまう。

このタイプは内面に独自な独特な世界をもっているので、例えば他の人から見ればとるに足りない事柄の中にも、自分で自分の罪をわざわざ見つけ出してしまうことだってある。

誰にも手の届かない心の奥底で一人罪の意識と孤独に戦っているのだが、周りからはなかなか理解されない。

「お母さんはあなたが罪に問われるような悪いことは絶対にしないと信じてる」

そういう気持ちが伝わるような言葉をかけてもらったらどんなに安心か。

親や教師がその子の気質を的確に捉えて、個々の子どもに適した方法でアプローチしないと子どもの健やかな育ちの障害になるばかりだ。

とにかく私はマリンの顔と同じ高さにしゃがみこんで

私がリュックを間違えたのだからマリンはなにも悪いことはしてないこと
リュックの持ち主に電話をかけて事情を話せば大丈夫だということ
マリンは優しい子だから泥棒なんかにはならないということ

をマリンに話した。

私の鞄に入っていたようかんとカステラのお菓子を一つあげると落ち着きをとりもどした。
お菓子を「半分は妹のユナにあげる」といってまた歩き出した。

安心な状態のとき、この子はとても優しいのだ。

なんとか無事妹の通っているクレッシュ(保育所)のお迎えに間に合った。

(いつもこんな風なので大人の足で15分の道のりも最低40分かかる。せかすのが嫌なので、ゆっくりあるいてもクレッシュの閉まる時間に間に合うように、最近は20分前にはお迎えに行っている。早めに迎えに来て大正解。)

クレッシュの帰り道はユナとマリンでめずらしくごっこ遊び。

明朝に備えてテントとテーブルが並んだマルシェ通りで八百屋ごっこ。

これはフランスならではのごっこだなぁ、とちょっと楽しくなって私もお客さんになっていろいろ買う。

「ムッシューマリン、~~シルブプレ」というと何でも無料でくれる。太っ腹だ。

アイスクリームまで売ってくれた。

八百屋でもアイスが買えるのはとても便利だ。私はヌテラ味を注文。

ひとしきり遊んだ後家に帰って夕食。

珍しく残さず食べるたマリン。

ママンから珍しく電話がかかって「大きい子みたいに食べた」と誇らしげに報告。

今日は総合ご機嫌度60点というところか。

一方ユナはクレッシュの椅子からひっくり返り頭をぶつけて意気消沈。
食事が終わる前にデザートを欲しがったので、帰ってきたお父さんにいきなり怒られる。

ああ、かわいそうに。いつもよく食べてるんだし、まだ頭がちょっと痛いみたいだしいいのにそれくらい。
私の胸が一番痛くなる瞬間はこんなときだ。

それなのに私がお迎えに行くとき、ユナがわたしにビズ(挨拶のキス)をいつもしないことを知ると、なんだかうれしそうな表情のお父さん。(お父さんが帰宅すると2人とも大喜びなので。)疲れているところに
他人、しかも外国人が迎えにくるのだから、うれしくなくって当然なのだが。かなりひねくれ者である。

でもフランスの子育てって大抵こんな感じなので、この父親も他の方法を知らないから自分がされたようにしか実践できないというのもあるだろう。この子たちは繊細なところがあるので、かなり上手くいかない場面も多いはず。もしかすると私には見せないけれど悩んだり不安だったりするのかもしれない。
しっかり自分の意見を持っていることがよし、とされるこの国ではそんな子育ての不安を友達家族に打ち明けるなんてこともやりずらいのかもしれない。この父親に関してだけ言えば、少々の不安は自分のやり方を強引に押し通すことでなかったことにしてしまっている。そんな気がする。


保育施設からの帰り道はさながら「哲学の道」。夕食を食べるまでの一時間半のなかにいろいろなドラマがある。

2008年7月17日木曜日

革命記念日





7月14日はフランスの革命記念日。

写真は軍事パレードの様子。10時半から12時まで。式典はもっと早くからあったらしい。

早起きしてまで、と思ったけれど、一度は行ってみてもいいだろうと思って誘いに乗ってパレードを見に行ってきた。

日本の自衛隊から4人派遣されたと聞いていましたが確認できず。
多分先頭の一隊の中にさまざまな国の国旗をつけた服の人がいたのでその中にいたのだと思われる。

式典は凱旋門のあたりで行われたらしいのですが私はマドレーヌ寺院の前あたりが穴場と聞いたのでそこで。

目だったパフォーマンスは最初のフランス国旗の飛行機雲と最後のパラシュートかな。

行進は歌と正装とそろった足並みがものめずらしかった。

強い日差しの中一時間半ほど人だかりに立って待っていたのと、雑踏で終わった後なかなかメトロの駅までたどりつけなかったりしでかなり体力消耗。

夜はエッフェル塔で花火が打ち上げられたそう。

今期EU議長国になったのを記念して、8月までエッフェル塔は全体が青く輝き星の輪があしらわれた特別バージョンのイルミネーションをやっている。

どちらかというとこのイベントを見たかったのだが日曜の夜なので残念ながらあきらめてパレードのあとはサンドイッチを食べて映画をみて帰宅。

2008年7月12日土曜日

感謝!

全く個人的な話だけれど、パリで大学に通おうかと思う。

ついさっき、学生証を受け取るために必要な書類が送られてきた。

ほんの入り口に立ったというだけ、しかもこれからきっとレポートの山とフランス語の壁と毎日向き合わなくてはならないことは確実。

でも私の心は朝日が差し込む窓際に置かれた緑のような気持ちよさで満たされている。

所在無げな私に温かい手を差し伸べて、いつも励ましてくれるたくさんの友人に心から感謝。

この人たちがいなければ今の私はいないから。

フランスに来て一番の収穫は友人に恵まれたことだ。

パリ滞在約1年半、ようやく希望の光があちこちに。

私のこれからの生活のリズムもこれによって見えてきた。

たくさんの良縁に恵まれ、私は今本当に仕合せ。


新しい人に会うたびに毎回聞かれる質問に、これからは

ここで「教育」学んでるんです。

と違和感なく言えるんじゃないかと思う。

                                     感謝!

2008年7月10日木曜日

レオノーラ・カリントンの個展【感想】


一つ前のタイトルで書いたレオノーラ・カリントンの個展に早速行ってきた。

メトロ12番のソルフェリーノから徒歩一分。ほんとにすぐそこ。
ポスターが出ているので建物はすぐにわかるが会員制の豪華な館の地階がギャラリーになっていて
他の目的できている人のほうが多くちょっとわかりずらい。

白い螺旋階段を降りていくと床の銅像が迎えてくれた。どこかの国の王様のような威厳のある男の人の顔。右手の壁には年表。大きなお屋敷、いつでもフリルと凝ったボタンがちりばめられた優雅なシャツを着たカリントン。相当に裕福な家庭に育ったことが見て取れた。

幼少の頃からのカリントンの写真のスペースを抜けるとデッサン、水彩画、銅像、あわせて55点。

ナルニアやゲド戦記みたいな地図のデッサンや宝のありかを示すような骸骨マークなんていうのもあって、期待したとおりの雰囲気の作品が並んでいた。

彼女の住んでいるメキシコでスペクタクルの舞台装置や衣装などをたくさん手がけていたこともわかった。物語がある絵だなぁと第一印象で思っていたので、納得。お芝居中の舞台や大きな壁画に取り組んでいる彼女の写真もあって面白かった。

私がシュールレアリズムと聞いてイメージするのはマグリットやダリだったりするのだけれど、
彼女もシュールレアリストであるらしい。ギュスターブモローは象徴派だが、彼の絵と似た印象を持った。


ギュスターヴ・モローGustave Moreau, 1826年4月6日 - 1898年4月18日)は、フランス象徴主義画家である。パリに生まれパリで亡くなった。聖書神話に題材をとった幻想的な作風で知られる。

印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いた画家であった。彼の作品は19世紀末のいわゆる「世紀末」の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされている。



ちなみにカリントンは日本でも1987年に日本で展覧会を開いている。
画集も日本語で出ているようなので帰国した際に手に入れる本リストに入れた。

今彼女は90歳。彼女が今も生きて同じ地上に生活しているというのが嬉しい。
彼女の内に広がる世界はまだ伝説にならずに今もこの世に実在する。

2008年7月7日月曜日

レオノーラ・カリントンの個展




サンジェルマン大通沿いのラテンアメリカ館で

Leonora Carrington レオノーラ・カリントン

の個展が7月18日まで開かれている。

http://culturel.mal217.org/agenda/index.cfm

今朝この展覧会の情報を見て、この絵に目をうばわれて、小さな紹介欄にあった絵画の写真に10分くらい釘付けになってしまった。まさに一目惚れだ。

上に示したサイト見れる絵

曇り空に黒服をまとった人がコウノトリのような大きな鳥を瓶に入れてなにやらあやしげな儀式をしている、そこはひろい草原で、遠くに鳥の形がくりぬかれた張りぼてのようなうすっぺらの家が見える。
どこか幻想的で静かに物語る絵。

児童文学の挿絵の一枚を取り出したようなファンタジックで神話的な絵画。
新聞の紹介を読んで、私が魅せられたのはもっともだと思った。

シュールレアリスムの画家とされているカリントン(1917~)はイングランド北部の裕福な家庭に生まれ、母や祖母からケルト神話やルイス・キャロルの物語を語り聞かせられ、幼いころから現実を超えた見えない世界に惹かれていた。


という。

英国は優れたファンタジー作家が多いことで有名だが、ファンタジックな絵画もしかりということか。
55点しかないそうだが、明日早速訪ねることにした。

フランスでタイカレー


最近暑くなってきたのでカレーがおいしい。タイカレーを週1ペースで自宅で作って食べている。

フランス人は辛いものが苦手なので、普通に過ごしていると、辛いものをあまり食べないからときどきアジアテイストの辛いものが無性に食べたくなる。
キムチとかコチュジャンたっぷりの石焼ビビンパもおいしいが最近はこの激辛タイカレーがお気に入り。

ココナッツミルクは普通のフランスのスーパー、タイカレーの素は中華系のスーパーで手に入る。
写真はレッドカレー。マルシェの新鮮なえびがポイント。

2008年7月6日日曜日

フランス語の名前を頂いた。


私の名前はフランス人にとってははありえない変な音の名前らしく、一回で覚えてくれる人はほとんどいない。
名前で呼び合うことで親しさを表す国で、私はちょっと損している気がしている。

それで、6歳の女の子(日仏ハーフ)に相談してみたところ、ありがたいことにわたしのフランス語の新しい名前をその場ですぐに
考えてくれた。

「ん~、じゃあAYOLA(あよら)っていうのはどう?」

私はMで始まる名前だが、なぜか最初に思いついたのは
Aから始まるAYORA。

私のもとの名前と全くリンクしていない。しかも日本人にとってはつかみどころのないような
不思議な音の並び。

私「ほんとの名前と少し似ているのがいいからMら始まるのがいいなぁ。」

子「じゃあMERLERNE(メルレヌ)は?」

私「いいねぇ、マドレーヌちゃんみたいだね。」

子「うん、そうね。じゃあこれにする?まって、今紙に書いてあげる。」


と言って

あよら   めるれぬ
AYOLA   MERLERNE

と書いた紙を渡してくれた。


まだ一度も使ったことがないが、覚えの悪いフランス人に出会ったらいつかこのセカンドネームを
教えてあげようと思う。

2008年7月5日土曜日

プロフィール更新しました。


プロフィールと写真を更新しました。写真は寒そうな感じがするのでまたちょこちょこ更新するつもり。
気分一新して、語調も変えてみた。

自分の経歴なんていうのはそうそう変わらないはずだが、MIXIやブログにあげている自己紹介は
しばらくたってもう一度読んでみると、現在の自分とはずれがあることが多々。そのときの自分の置かれている状況、気持ちなどが反映されているからでしょうか。

それにしてもライトアップされたエッフェル塔は綺麗。

そうそう、
若くして3つ星をとった料理人アラン・デュカス氏がモナコ国籍を取得したというニュースを見た。
それにより、フランス国籍はモナコ国籍取得と同時に失ったらしい。フランスが誇るレストランのシェフがフランス人ではなくなってしまったのはフランス人にはちょっと残念なニュースであるに違いない。

小さな完ぺき主義者の処方箋


とある普通の仏家庭の子どもの世話をするようになって一ヶ月。
子どもたちの気質、親の子どもへの接し方などがだんだん見えてきた。


まず3歳のMARINE

食        食は細い、あまり興味がない。
好きな食べ物 フルーツ 

食事のとき自分のフォークとナイフとスプーンが一つでもなかったり、間違ってユナのものがセットされていると軽くパニックになり激しく泣き出す。やりたいことができなかったり、意にそぐわないことがあるとひたすら泣く。結構引きずって30分くらいは泣き止まない。たくさん話すが小さい声でふにゃふにゃと話すので何をいいたいのか私はあまりわからない。「オムレット」のことを「オプレット」といったりするので幼さゆえのつたないしゃべりというところもある。体つきは華奢で顔は細長く全体的に鋭い印象。


2歳のYOUNA

食        食べることは喜び。気分によっては好きなものも食べない。 
好きな食べ物 グリンピースとにんじんの缶詰の「汁」、ヨーグルト、パスタ、バゲットの内側の白いところ。

最近は自分でいろいろやってみたい時期らしい。自分でオムツからパンツに履き替えたいが、上手く出来なくていじがやけて軽くパニックになり泣く。でも手伝おうとするととても怒る。マリンのマネをしたい。言葉は3語くらいの短いフレーズ、もしくは単語と指差し程度。
外見は丸顔で愛嬌があり、愛されやすい。(実際両親はユナにたいしてはマリンに対してよりかなり甘い。声のトーンも少しあがる。)


お姉さんは割とこうなりがちだが、この家はかなり愛情の比重がユナにある。ちょっと気の毒。
そして2人とも神経の鋭いところがあり、自分に問題がおきると錯乱する。お母さんは弁護士でとてもしっかりした女性。お父さんもかなり厳しくするのもあり、2人とも強烈な完璧主義者の性質が感じられる。お母さんはとてもスリムにもかかわらず、台所の棚に大量のダイエット食品が積んである。日本人並みにサランラップを使ってフランス人にしてはかなり几帳面に食材を保存している。完璧を求める性質の遺伝が感じられる。


この家族への処方箋、それは

ずばり 「ユーモア」!!

こういう子どもにはリラックスが必要。
時には親が自分のまぬけな一面やふざけた一面を見せるのが一番。

この家族、とても真面目で健康や食事のバランスにもかなり気を使っていて、あまりチョコレートやおやつを与えないようにしている。メニューも肉と魚と野菜のバランスを考えて毎日準備する私のためにメモを残しておいてくれる。又、食事のときようの子どもの椅子が2人ともによういされているところは素晴らしい。食事のとき、市販のよだれかけや紙ナプキンで子どもの口周りを拭う家庭がほとんだだが、「これはとても便利なのよ。古くからアルフランスの知恵」といって「セルヴィエット」という白い布のナプキンを使っているのも素敵。

だけどお風呂上りに腹おどりとか(さすがにそれは普通しないか)は絶対しない生真面目さ、厳格さが残念。ユーモアが足りない。とくにお父さんの言動からは「子どもには大人の失敗知る姿は絶対に見せてはいけない」というような雰囲気がいつも漂っているのが私にも息苦しいぐらいだ。両親がすべてのオーガナイザーであることを子どもにわからせようとする高圧的な言葉賭け。私の苦手なフランスのしつけというやつだ。

もっと気楽に、楽しくやればいいのに~と思ってしまう。人間の多面性や息の抜きどころを両親から学ばずしてどう学ぶのか。私が割とすぐに子どもと仲良くなれるのは、子どもにバカをやってみせるからなのである。今日はわざと子どもに「ボンジュ~マダムプチコション(子豚)」「マダムプリンセス。アレジー(お姫さま こちらへ)!」などと呼ぶのが大好評で、「こんどはマダムバレン(くじら)って呼んで~!」などと言われて盛り上がった。
些細なことに目くじらを立てて子どもに言い聞かせているお父さんは、わき腹をこちょこちょくすぐってしかめっ面をなしくずしにしてしまいたくなるのだ。

怖くて出来ないけど。

初めてフランス人のママと間違えられるの巻


私の目指しているのはフランスに住んでいる日本の家庭の子育て支援ですが、普段はシッターがもっぱら私の仕事です。これまでは日仏家庭がほとんどでしたが、最近は近所の、両親ともに生粋のフランス人、という仏家庭でのシッターをするようになり、生のフランス語に触れる大変良い機会になっています。

今日からフランスの公立学校は夏休みに入り、私の住んでいる地区では子どもたちは他の施設に最長で18時半まで預かってもらうことができます。今日はそこに2人の子をお迎えに行きました。
3歳のMARINE(マリン)と2歳のYOUNA(ユナ)という女の子です。2歳のユナちゃんはまだクレッシュ
なのでいつもと変わらないのですが、3歳のマリンちゃんは幼稚園が今日から夏休みなので違う場所での保育がはじまりました。

それでお迎えにいったときに、初対面したそこの託児のお兄さんに、ママかと訪ねられたのです。

もちろん、青い目をした金髪の女の子が私のおなかから出てくるわけがありません。

まあ、初日なので、あれ?この人ママかなと思った人に声をかけたのでしょうが、「明らかに違うだろ」、と突っ込みたくなるぼけっぷりだと思います。

「みんな初めてだから、まだ名前を覚えてないんだよ。朝は名前と顔が良くわからなくってちょっと覚えてえてないけど、このこはとてもいい一日を過ごしたよ。」

といっていたあたり、初めてこのアルバイトをするあまりなれていないお兄さんという感じがしましたが、とても気さくな感じで人当たりが良いので、こどもには好かれそう。


一方私がこの子たちを見るようになって一月ほどになり、私はこの子たちの気質やこの家庭の雰囲気がずいぶん見えてきました。


「フランスの子育て体験記」という新たなラベルをつくって、記録を残したいと思います。

写真はパリ市内の保育施設。

2008年7月3日木曜日

にじみ絵のアトリエ 8 9-1


シュタイナーの理論にもとづくハウシュカメソッドのテラピーアートの教室に
通っています。いつ、どんな絵を描いたのか、どんな風に描いたのか、なにを感じたかなど
の記録を残すたねに、毎回メモ程度にアップしています。

【8回目】すべての色をつかって虹をつくる(縦)

色の順序
まず初めは明るい黄色を真ん中に、次に一番上から徐々に黄色に近づくように青→緑→黄色のグラデーションを上から下に向かって、続いて一番下方に濃い赤を置いて徐々に黄色に近づくように下から上の方向に赤→橙→黄色のグラデーションをつくっていき、最後に両端が紫になるように赤には青、青には赤を加えてホンの少し紫をつくります。紫が両端に来ることで、絵が落ち着き、バランスが整ったような感じがします。


【9回目1】 8回終えての先生からの

先生からのアドバイス

9回目は先生がわたしの描いたこれまでの8回にわたる作品についての分析をしてくれました。
まず「私の身内で血に関する問題を持っている人はいない?」と聞かれたので、大変びっくりしました。
「怖がらなくっても大丈夫。だけど、あなたの赤の絵は血液の流れが滞っているような印象だったから。」というのです。そういえば
私は「赤」を使うとき、いつも「この真っ赤な赤、これは本当の血のようだ。」と思って筆をとっていました。描くときの気持ちも本当の血液を使って描くようななまなましさ、気持ちの悪さを感じていたことも同時に思い出しました。やはり先生から見ても私にとって赤は血液を示唆するものだったらしいのです。夏でも足の先が冷たい極度の冷え性の私の体質をみごとに言い当てられたようでした。実は私は以前から肩こりや冷え、頭痛などの体の不調があったのですが、私の感じている体の不調の根本はこの「冷え」だという自覚がずっとありました。日本でも血行が良くなるように整骨院でマッサージを週3~4回程していましたが、いくら通っても一日で肩や腰がバリバリに張ってしまって、足は氷のようにつめたいのでいつか整骨院の先生にアドバイスを伺ったことがあります。そのとき施術してくれた先生に体が「虚」の状態にあるからとにかく温めるように、ということを言われたのを思い出しました。すでに体を冷やさない食べ物を食べるようにしたり、マッサージをしたりとかなり努力していたのにもかかわらず、これなんです、というと、もっと深いところにある原因を改善しないといけないといけないといわれたのでした。

さて、その根本の原因についても今回イザベルは私の赤と黄色の塗り方についてのコメントでその示唆を与えてくれました。まず、私は赤を描くときだけ、筆を下から上に持ち上げるようにして描いていたことについて、そのような筆づかいをするのは私が無意識に赤を血液ととらえて、それを体に行き渡らせようとするからだ、ということ。そして、自分の体は温まろうとするけれど、最初に白い紙の上に黄色を広くのせてしまったのでそれが直接体に届くのを遮ってしまっている、ということです。イザベル先生は私の描いた虹の絵は黄色の部分が標準よりずいぶん広いといいます。普通はもっと赤が上って、黄色はなくなっていくそうです。私の赤はどの絵をみてもイザベルにはすこし問題があるように写ったそうなのです。黄色が広いのは自分は光(黄色)をもってあたためようとするんだけれども、妨げになってしまっているというようなことらしい。私は他の色とよくなじむように、と思って黄色をはじめに大きく上下に広げてからその上に他の色を重ねてグラデーションを作ったのですが、そのような描き方も珍しいということでした。「この絵はあなたの内面を感じるためにとても興味深いものだわ。あなたはこの練習によくとりくんで、体が温められるのを阻んでいる何かについて探求するべきだわ。」と言われました。他の3人の生徒たちも興味深げに私と一緒に私の絵の分析を聞いていました。この絵を描き終えたとき、「良くかけた」という感じが他の絵よりも強かったので、割と素直な自分の内面が現れた絵なのだと思います。

その後、いつもどおり、にじみ絵。→後日記録アップします。

写真はあまり関係ないですが、セーヌ河と橋と橋の両岸に並ぶお土産やさんのミニチュアエッフェル塔です。

アクセス

基本、ヴェルサイユ方面に一番線路沿いの道を歩けば着きます。


改札はひとつだけなので簡単です。改札を出て階段をおりたら左手に進み、右に曲がって駅をでます。

線路沿いの道をヴェルサイユ方向に道なりに進みます。ここ↓に出たら右に曲がります。



ここまできたらまた右へ曲がります。すぐに線路の高架の手前の道が左手にみえるので↓ココを行きます。


あとはひたすらまっすぐ坂道をのぼります。暑いと結構つらいです。

到着。

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