2009年8月26日水曜日

おしゃべりサロン3(子そだて勉強会)

8月25日(火)今日のテーマは「しつけはどこまで厳しく?」というテーマで開きました。

まず、しつけとは何なのか?わたしのイメージでは「~しなさい」というやつが「しつけ」です。

例えば

「~してはいけません」
「それはダメ!」
「~しなさい」

など子どもに何かを禁止したり、何かをなんとかしてさせようとするものです。

どんなにやさしく言ったところで、子どもはその内容が「命令」であることや「押し付け」であることはすぐに感じ取ります。言われることで余計に反抗したくなります。そこでお母さんはもっと強い口調で同じことを繰り返しいわなければならなくなります。そして子どもももっと意固地になり頑張る。そのうち大人の堪忍袋の緒が切れて最後は雷が落ちる、というパターンは参加者のお母さん方もほぼ毎日経験して頭を痛めていらっしゃるようでした。

では、しつけというのは命令口調でしかできないのでしょうか?

わたしはそうではないと思っています。

命に関わるような危険なことを止めるときには厳しくてもいいとおもうのですが、どんな些細なことにも同じように厳しく叱るというのはどうでしょうか?

そもそも、しつけというのは「帰ってきたら手をきちんと洗う」とか「食事のときはいすに座って食べる」とか何か目的があるのですから、目的が達成されればいいのですよね。

厳しくすることが一番よい方法なのでしょうか?目的を達成するのに一番近道だから厳しくするのでしょうか?

参加者のみなさんに「しつけってこわーく怒らないとできないことなんでしょうか?」「しつけって怒ったり怒鳴ったりすることなんでしょうか?」と聞きました。これはお母さん方が胸の中で自問してみるだけでもよいとおもったので、お答えを聞いたわけではなかったのですが、おそらく、みなさん、そうではないんだけれど、と思われたのではないでしょうか?「別に好きこのんで怒ってばかりいるわけじゃない、私だってもうすこし楽に子どもが言うことを聞いてくれたらうれしいと思うけれど、どうしたらいいのかよくわからない。だから悩んでいる。」という方が多いのではないでしょうか?


厳しくしているお母さん方の日々のストレスというのは相当に強そうですし、私も、やっぱり違うと思うのです。一番よいのは目的に親子ともできるだけストレスなくたどり着くことができ、かつ、子どもがきちんとなぜそうしなければいけないのかがきちんと理解できる方法は?

親子のストレスについて考えていくと、子どもが反抗したくなるような声のかけ方は逆効果で、やってみたくなるような声かけが大事でなはいでしょうか。そして、よい生活習慣をしっかり身に着けるという点で考えてみると、子どもが大人に怒ったり怒鳴ったりされるから、「しない、してはいけない」というそのときだけの理解ではなく「なぜそうしなければいけないのか」を本当に理解して、親がいないところでも実行できるようにするために、子どもがなるべく身をもって体験すること(頭だけでなく心から理解すること!)が大切で、大人はそれらを最大限に援助してやることが望まれているのではないでしょうか。


具体的にはまず、

「~してはいけません」よりは「~したらどう?」

「それはダメ!」よりは「~だったらいいよ」

「~しなさい」よりは「一緒にやろう」や「こうしたらできるんじゃない?」

というように努力しようという心持ちで子どもと接するということは、明日からでもすぐにできると思います。もしこれまで呪文のように「~ダメ!」とつい言っていたとしたら、意識し直すのは決して簡単ではないでしょう。でも、うまくできなかった、ということを考えるようになったというだけでも十分意味があるのです。無理せず、できることから続けていけばストレスに感じずにすみます。また、子どもの変化はすぐには目に見えるものではないので忍耐強く続けることが必要で、本当に大変なことですが、続けていたらいつかきっと子どものちょっとした言動を「これが成果かな?」とうれしく感じる一瞬がくると思います。

「育児」は、子どもを育てることでもあり、実は子どもに育てられることでもあります。決して一方通行ではないはずです。子育てをすることで自分もまた育てられる。そこを忘れてはならないと思います。

じつは「しつけ」という言葉には、親から子への一方的に命令し、行動を正す、というような印象があり、
私は非常に抵抗を感じる言葉なのですが、だからこそ、「しつけ」という言葉をテーマにいれて、実はそうではないんだ、ということをほんの少しでもお伝えしたいと思ったのでした。

子どもを育てていくうちに育児に関する悩みと出会ったとき、じつはそれは少しおおげさに聞こえるかもしれませんが、親になるもっと以前のこれまでの過ごし方により培われた価値観や性質、特徴、つまり自分自身との対峙であることは多いのではないかと思います。ですから、悩みにぶつかったときに「これは自分と向き合うよい機会」とまで思えたとしたら、自分自身の人間力というか、底力のようなものを成長させる好機となると思います。子育てをしていく中では自分の根底をゆるがすような問題を子どもに突きつけられることもあるかもしれません。けれどもそうしてことあるごとに自分と向き合い、立ち止まり、学びつづけられる人間はどこまででも何歳でも成長でき、とても豊かに生きられると思います。大人もずっと、生涯、学び続けるのです。

実は私が幼児教育の現場を離れ、今、お母さんや、お母さんにこれからなるだろう人の子どもとの接し方についていろいろ考えるようになったのは、子どもと接しながら、ある部分で自分が子どもに成長させてもらったという実感と、大人が学ぶこと、学び続けていくことの喜びや意味などを感じるようになったからに他なりません。大学院では「生涯教育」をテーマに教育を考えていけたらと思っています。しっかりと自分に向き合あう育児をしようとするお母さんにとっては育児はやはり大変豊かな学びのときとなると思っています。

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